『忠臣蔵―赤穂事件・史実の肉声』 野口武彦

最後の武士たち


忠臣蔵―赤穂事件・史実の肉声 (ちくま学芸文庫)忠臣蔵―赤穂事件・史実の肉声 (ちくま学芸文庫)
(2007/11)
野口 武彦

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語り継がれる忠臣蔵は実際、どういう事件だったのか。史料からその実像を追う
本書はいわゆる忠臣蔵、赤穂事件を、フィクションのヴェールを外して週刊誌の記事のように何があったか実証していく
浅野内匠守と吉良上野介の役目、松の廊下の場所から、元禄時代の経済状況、赤穂浪士の内紛、事件の裁きと荻生徂徠の思想にまで触れ、事件の生々しい全容には圧倒される
個人的には赤穂浪士の行動に影響を与えた思想的背景に触れて欲しかったものの、文治主義へ変化する幕政と、後に朱子学と戦う荻生徂徠の法治主義の片鱗を見る目は鋭い

まず刀傷松の廊下事件の分析が面白い
浅野内匠守勅使参向の御馳走役についていた。勅使参向とは、将軍から朝廷へ新年の挨拶が送られた返礼として勅使が江戸城へ下向する行事で、三万石から十万石の大名が勅使御馳走役に任じられる
勅使の接待は、儀礼に通じた高家の指示を受けねばならないストレスの溜まる役目であり、方々へのつけとどけや諸経費を自弁でまかなわければならなかった
諸大名は避ける役目であったが、浅野内匠守は事件の20年前にも同じ務めを負わされていた
著者は吉良上野介と揉めた原因を、儀典指導への礼金と推測する
内匠守は20年前の相場でつけとどけをしていたが、綱吉治世の元禄では貨幣改鋳策により物価が高騰し、礼金の相場も上がっていた
赤穂播は江戸から遠く、そうした相場に疎く、20年前の経験も災いした
とはいえ、刃傷沙汰は内匠守の発作的犯行だった
吉良上野介は背後から斬られて大量出血から虚脱状態に陥ったが、名医の手で事なきを得た。しかし、この背後の傷から赤穂浪士に正体を見破られることとなる

なぜ討ち入りは成功したのか
ひとつは、吉良上野介が上杉家に嫌われていたことがある
上野介は上杉家の妻を持ち、息子を上杉家に養子へ出して断絶を防ぐなど関係が深かったが、重すぎる貸しが上杉家の家中と不和につながったらしい
息子・綱憲は父の警護を厳重にしたかったが、家中にその出費は痛かった。綱憲が末期養子として入った代償に、所領が30万石から15万石へ減らされた事情から財政も逼迫していた
こうしたこともあって、討ち入りの際には援兵も仇討ちも評定止まりに終わった
もうひとつは、江戸の雑居性がある
江戸はおおまかに武家屋敷と町人の区画は分けられていたが、混在している場所も多かった。職を失った浪人たちは町人地に住み、人口密度も高くなり浪士が潜伏するのに造作なかった
討ち入りの際に、火消しの装束をまとったのは、夜道を行進しても違和感を持たれないからで、雑居性を生かした作戦だった
もちろん大石内蔵助以下の采配も見事で、倍する手勢のいる吉良邸を奇襲。味方に一人の死人も出さずに1時間で制圧して、さらに1時間で上野介を発見している
討ち入り前には強硬派と御家復興派でずいぶんもめたが、それを収めてここまでいいいチームにした内蔵助の統率力は大したもんだ


元禄忠臣蔵〈上〉 (岩波文庫)元禄忠臣蔵〈上〉 (岩波文庫)
(1982/08/16)
真山 青果

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