『播磨灘物語』 第4巻 司馬遼太郎

ドラマを追い抜けて、ホッ


新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)
(2004/01/16)
司馬 遼太郎

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有岡城の虜囚から官兵衛の前途は開けた。秀吉は宇喜多家を従えて征西し、毛利方の要衝である高松城を囲む。官兵衛は秀吉の発案を受けて、史上名高い高松城の水攻めを断行した。しかし、城主清水宗治の切腹が決まった直後に、信長の死が秀吉に知らされる。官兵衛は主人を励まし、中国大返しに備えるのだった

荒木村重の謀反、三木城の攻城戦が片付いて、官兵衛の周囲も大きく動き始めた。最終巻は播州からすっかり離れてしまう
高松城の水攻めでは、乳母兄弟の吉田六郎太夫長利を抜擢し、足守川をせき止めて城を孤立させた。六郎太夫は父が百姓で、黒田家が三代前が商人であったことから、低い身分の者を用いるのに躊躇がなかった(用いないと家臣団を形成できなかったのもあるが)
官兵衛が秀吉の知遇を得たのは、この黒田家の家風が播州に珍しく身分を気にしなかったことも大きいだろう
本書でも秀吉の軍師として強調される官兵衛だが、意外にも司馬は軍師としての役割を果たしたのは、播磨時代から山崎の戦いまでと限定していた
清須会議以降の参謀として“名人久太郎”こと堀秀政を匂わせていて、九州征伐以降は石田三成ら吏僚派に席をとられたとする。九州征伐における軍監としての働きが軽視されていた
才能の割りに晩年が不遇だったことを強調したかったのだろう

さて小説に描かれる官兵衛像だが、いわゆる“黒い軍師”ではなく、想像していたより史実に近い
竹中半兵衛と同類の才能が突出した知恵者で、半兵衛より処世が下手だから疑われてしまうタイプ。才能を発揮したい欲はあっても、その結果としての実利を欲しがらないという、同時代人には理解しにくい人間なのだ
余りに気が利くので、秀吉に返って疑われるというフラグが早々に立っている(苦笑)
しかしその一方、小説の終盤で後年の関ヶ原で天下取りを狙ったという逸話も取り上げていて、山崎の戦いまでの官兵衛像とは大きくぶれていた。司馬も官兵衛という人間の実在が信じられなかったのか、あるいは講談としての面白さに引かれたのだろうか
家康が北九州を切り取った如水(官兵衛)の功を聞いて、「何が目的でやったものだか」と言って黙殺したというエピソードには、確かにニヤニヤしてしてしまう
管理人は才を振るう場所がない鬱憤を晴らしただけに思えた(笑)
商人出の合理主義者なのに、読書人として時代にそぐわぬ儒教的倫理観も持ち合わせるという、戦国に珍しい性格は、今でも誤解されやすいようだ


前巻 『播磨灘物語』 第3巻


文庫版のあとがきが面白い
読者からいやな手紙が来たと紹介していて、英賀の小勢力がちゃんと描かれていないという抗議があったらしい
「あなたがその小勢力の子孫だったらそんな冷淡なことはしないだろう」とまで書かれてしまって、それに対し司馬は「家系を一種の虚構」と前置きしつつ、実は先祖が英賀の小城に籠城していたらしいと打ち明ける
実はその伝承が『播磨灘物語』を書く気になった動機で、播州に対する興味が膨らむうちに、英賀のことが消し飛んでしまったと告白する
自分の先祖のことはあくまで“触媒”であって、「私小説を書く能力も気持ちも私にない」という言葉は、歴史小説を書く人間としての矜持が窺えた
読者って、いつの時代でも勝手だよね、思った次第である。ブログに変な感想を書かれるのも迷惑だろうなあ(苦笑)
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