『信玄の戦略―組織、合戦、領国経営』 柴辻俊六

信玄以前の武田家についてもばっちり

信玄の戦略―組織、合戦、領国経営 (中公新書)信玄の戦略―組織、合戦、領国経営 (中公新書)
(2006/11)
柴辻 俊六

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戦国時代屈指の英雄、武田信玄。彼はいかなる組織と戦略で乱世を戦い抜いたかを、史料をもとに考察する
出版が2006年と、大河『風林火山』の前年。『武田信玄』のときと同様に多くの信玄関連の書籍が出されたが、本書は武田家の由来から西上中の病没までを丹念に追った正統派だ
有名な合戦よりも、その前段階の婚姻政策、諸勢力への調略、領内の統治といった地味な基盤づくりに焦点が当てられていて、ドラマやゲームで表現されているものとは違う、本当の戦国時代が見えてくる
戦国の合戦は、大事な軍勢を消耗させるものでもあり、武将たちはいかに無駄な戦いを避けるかに気を配っていた。川中島の戦いでもほとんどがにらみ合いであり、4回目の激戦は偶発的に起こったそうだ
戦国時代の合戦は相手を他に手段がないほど追い込んで、向こうから挑ませるものなのだ

『信長の野望』などにおける武田信玄は、甲斐源氏の名門、本願寺との姻戚関係、対信長包囲網の一番手と、戦国守旧派のイメージが濃い
しかし彼が組織した武田家は集権的な戦国大名であり、商業を振興するために商人や職人にさまざまな特権と譜請免除を与え、多くの直轄地を抱えていた
もともと同格の国人だった小山田氏など、地盤をもって帰順したものや親族衆は、城を中心とした領主となったが、“城代”として派遣された者は多少の知行はもらうものの、あくまでお役目であり、世襲ではない役職だった
“城代”に主従関係のない与力が加わる関係は、織田家ばりに近世的である。山県昌景などの譜代家老も任務に応じて、城を転々としている
司馬遼太郎は後世に影響を与えた政治家として、信長と並んで信玄を挙げていて、徳川家康も旧武田領を押さえる際にノウハウを吸収し、天下取りに生かした
地域の実情に配慮しつつ、硬軟両様の手段で自らの元に力を集める信玄は、近世大名の魁といえるのだ

小説や教科書を読んでも、史上有名な合戦によって歴史が動いていたかのように単純化して描かれるが、本書からは水面下の過程があって合戦という結果が生まれたことが良く分かる
例えば、信玄が今川家と手切れし駿河へ攻める際には、今川の仇敵である織田家と縁組し、家康と通じた上で侵攻する。この動きから今川家の嫁を持つ嫡子・義信が謀反を計画し自害に追い込まれている
信玄の駿河侵攻に対して北条氏康は今川家を援助し、一時は侵攻した武田軍が退路を断たれるまでに追い込まれた。一度の侵攻で簡単に駿河を落とせたわけではなかったのだ
信玄はその報復として小田原攻めを決行し、この時初めて駿河の大半を手中に収めることができた
また、三方が原の戦いは家康が挑発に乗ってとされるが、そのときにはすでに信玄が遠江の大半を陥れていて、浜松で孤立しかねない状況だった。長篠の勝頼のように、家康も追い込まれていたのである
信玄と信長との外交では、双方が白々しい口上を送りつつ、互いに相手のライバル勢力へ働きかけていた。本書では戦国の容赦ないマキャベリズムを拝むことができる


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