『宮崎駿の“世界”』 切通理作

コナンのタフさは悟空並み

宮崎駿の“世界” (ちくま新書)宮崎駿の“世界” (ちくま新書)
(2001/08)
切通 理作

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宮崎駿は何を表現し続けたのか。東映動画時代から『千と千尋の神隠し』までの作品と関係者の証言でその作品世界を探る
サブカル評論というと、自分の思想と合わないものを批判し合うものを称揚という二元論から、サブカルを題材に自分の言いたいことを言うパターンなど散見される。超有名人の宮崎駿などは、格好の標的だ
本書はそうした活動家的な批評ではなく、なぜ老若男女が宮崎作品に惹かれるのかを真正面から入り、その魅力の源を解き明かしていく
かといって流行物にすがるお手盛りにも落ちていない。作品の痛快さを褒めつつ、チクリチクリと疑問点を突いていき、いわゆるロリコン問題(笑)に関しても、容赦ない証言や批評を紹介している
難をいえば、作品の筋書きを皆まで書いてしまった前半の構成と、引用された批評のほうが目立ってしまって、著者の冷静な評が目立たないことだろうか。特に宮崎本人の証言がぶっちゃけ過ぎて、すべてを流す力がある

宮崎作品がこれだけ多くの人間を惹きつけた理由は何か
著者は主人公が直観的に次の行動を向かう様が、人間の生きる<時間>に近いことをあげる。作品では流れを止めるようなスローモーション、止め絵はほとんど使われていない
朝・昼・夜の経過を押さえ作品の中で数日しか経たない<時間>も、観客の生理と呼応し主人公の行動を一緒に体験できるのだ
宮崎駿はある時点から、プロットを作ると脚本を経ずにコンテ作業に入るようになったという。そしてコンテがラストシーンまで完成する前に、作画作業が始まることが多い
コンテの段階でプロットになかった登場人物が生まれることもあり、絵の積み重ねでストーリーが生まれていくことになる
こうした作り方は劇映画でもサイレント時代に見られたもので、<絵が動く>こと自体の感動を伝え、その手触りは古い世代を取り込んでいるようだ
ただそうした表現主義の代償として、言葉ひとつで壊滅する城塞など展開重視のご都合、飛躍した結果シンプルすぎる物語が出来上がるのも納得か

映像作品は集団作業が前提だから、監督からだけの切り口で作品を論じられないものだが、宮崎作品に関してだけは例外
圧倒的な能力とそれに基づく制作体制ゆえ、本人の人生、価値観、性分、当時の状況から導き出されたものが露出せざる得ない
本書では親が軍需産業で戦闘機を作っていたという出自、労働運動に関わった東映動画時代<少女>への執着をたどり、後半においては宮崎勤で拡大した「ロリコン騒動」(富野監督の発言も引用!)、フェミニストのジェンダー論からの攻撃まで扱っている
個人的に興味があったのが、ナウシカの劇場版と漫画版で結末が異なる理由
時系列的に考えると、劇場版は煮詰まらなくて神格化する展開をとげ、その後に思索が深まって漫画版へと考えたくなるが果たしてどうなのか
宮崎の自然観として「人類の関わらぬ地」こそ真の自然であり、人手が入った田園風景を愛する高畑とは違う。漫画版の「青き清浄の地」は旧人類のシステムという設定だからこそ、否定されたのであって、本書ではオウム真理教などの危険な終末観に対する身ぶりでは、と指摘されている
漫画版ナウシカの成果を回収したといわれる『もののけ姫』が、滅びゆく人々と「人類未踏の自然」に対する愛着は変わっていないので、実のところまったくブレていないのだろう
著者も『未来少年コナン』でも人のいない廃墟が舞台なことなど、人間より動物や機械に安らぎを感じる傾向があるとしている
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