『あまちゃんメモリーズ 文藝春秋×PLANETS』

朝ドラは勤務時間次第で見たり見なかったり

あまちゃんメモリーズ    文藝春秋×PLANETSあまちゃんメモリーズ 文藝春秋×PLANETS
(2013/10/31)
みなさんのあまロスをなんとかすっぺ会、宇野 常寛 他

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SNS中心に大人気だった朝ドラ『あまちゃん』を逆回転! 関係者のインタビュー、各界のウォッチャーによる対談、分析から『あまちゃん』を振り返るPLANETS×文藝春秋のムック
久しぶりに見続けたのと、富野監督の寄稿目当てに購入した
描き下ろし「アマ絵」全156エピソード完全レビューと、ファン・ブック的な要素も目立つ一方で、中森明夫、茂木健一郎らの論談ではそれなりに批評的な意見も飛び出し、論考では物語論、「潮騒のメモリー」の音に隠された仕掛け、テレビドラマ史における『あまちゃん』の位置など、なかなか読ませる内容だった
有村架純は可愛いし、舞台のモデルとなった北三陸のルポにはドラマ以上にじぇじぇじぇな背景が広がっていた
構成が雑多ではあるけれど、それもまたムックにふさわしい


<「いま・ここに・潜る」-宮藤官九郎、再生のシナリオ 宇野常寛>

おなじみの宮台社会学的理解のもと、郊外の青春を描いてきた作家として宮藤官九郎を解く
『木更津キャッツアイ』では、無職青年グループがサブカルチャーを引用して作り出した偽史をもとに「地元」を作って拠所とし、『タイガー&ドラゴン』以降では「土地」、「家族」といった古い概念にサブカルチャーの動員と擬似家族への期待で再生する志向だったそうだ
『あまちゃん』もそうしたクドカン作品の延長で捉え、社会学用語をあてはめて行く
東京生まれのアキはすぐに訛りを覚えて「似非東北人」となり、観光用の海女となる。「地元」を復興させるのはアイドルというサブカルチャーで、後付けで意味を追加すればいいとか
しかし、アキには親も祖母も海女だったという「血筋」の後押しがあったわけだし、全国に溢れる“ゆるキャラ”を見ればサブカルチャーで町おこしも目新しいものではない。『あまちゃん』に町おこしの未来があるというより、現代進行形の町おこしを描いたドタバタ劇だったと見るべきだろう


<『あまちゃん』白熱論争 宇野常寛×中川大地×茂木健一郎×中森明夫>

出だしに茂木健一郎氏が他の朝ドラは知らないとぶっちゃけ、中森明夫氏が能年玲奈の魅力を止め処もなく語るというかなり砕けた調子で進む
あまり深い話にはならないが、種市先輩との恋愛が物足りないと突っ込みが入り、クドカンの「男の子コミュニティ」のホモソーシャル関係好みが明らかになったり、「地元」を捏造し続けた脚本家が自分の地元である東北を舞台にしたという話は運命的に思えた
宇野、中森両氏からすると、AKBのモデルであるアメ女、GMTがいまいち影が薄かったのが不満なようで、宇野氏の後の論考でも実際の地下アイドルをドラマに反映していないという指摘があった
春子がアイドルの口パクに苦言を呈するところ、脚本家の世代的好みが色濃く出たというべきか


<特別寄稿 非あまちゃんファンになった 富野由悠希>

これが購入した動機の7割である(苦笑)
『あまちゃん』への期待が高かったからだろうか、富野監督は想像以上にかなり強い調子で非難していた
経済的にはイケイケドンドンだった“痛い時代”である80年代への批評、反省がドラマで予定されていたにも関わらず、いつのまにか憧憬と回顧に終わり不完全燃焼だったことが怒りの原因のひとつ
もうひとつは、一人の脚本家に「作家」として仕事をさせていること
朝ドラ、大河の通弊なのだが、これほど多彩なキャラクターや引用、伏線を仕掛けていけば、展開的におかしくなるのは当然だろう。富野監督はハリウッド流の組織論でプロデューサーに“ライター”(!)を監督し制御せねばならず、ときに「ライターを下ろす、他の人に変える」ぐらいの覚悟が必要という
大画面のテレビが当たり前で、映像重視の再視聴に耐えるドラマが求められる時代ならば、一人の作家の暴走を止めるシステムが不可欠だろう
『あまちゃん』のギミックへの分析はあっても、ドラマの出来不出来は誰も触れないので、監督ならではの貴重なシュート発言である

管理人自身は、『あまちゃん』はまだ制御が効いたほうだと思う。その前の愛と純』などは朝ドラのお約束潰しをしすぎて、視聴者どっちらけになってしまった
その反省が生きて『あまちゃん』の大枠は朝ドラの伝統が守られていて、ある程度の抑制があったからこそ、視聴者が集まって離れなかったともいえる
(逆に大河ドラマ『八重の桜』では、急な路線転換でドラマが迷走してしまったが)
ただし関西圏では平均視聴率16%であり、国民的ドラマというにおこがましいのは確かだ
これだけの魅力的なヒロインと役者と背景世界、震災からの復興という大義名分を抱えながら、広告代理店の宣伝ほど伸びなかったのは、監督の言うように良好な視聴率が作家の悪ノリを許した部分もあるだろう


音楽を担当した大友良英のインタビューが面白い
チーフ演出を担当した井上剛とは、神戸の震災を舞台にした『その街のこども』でタッグを組んでいた
井上氏は3・11を『てっぱん』の撮影中に迎えている。ムックの傾向として『あまちゃん』=クドカン作品として語られがちだが、震災と向き合う朝ドラは違うラインでもつながっていたのである
管理人自身は『あまちゃん』がクドカンの「大人にならなくていい」というイズムで貫徹されていたと思わない。震災の被害に対する役者、スタッフの真摯な姿勢はまごうことなき大人であり、特に大吉さん(=杉本哲太)が北鉄の復活へ動き回るところなど、まさに「大人をやっていた」
アキにしても「似非東北人」と自嘲するほど客観性を持っていて、脚本に子どもでいるよう首根っこを押さえられた感があった(苦笑)
思えばスナック「リアス」の集まりもものの分かった大人がおふざけを繰り返していたではないか
震災からの復興という課題が、クドカン脚本をして「大人にしてしまった」といえよう
このような脚本家の意図せざるドラマにこそ、『あまちゃん』の魅力があったと思う
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