『黒田官兵衛 - 「天下を狙った軍師」の実像 』 諏訪勝則

相手役が中谷美紀!?
今年の大河も全見確定だな

黒田官兵衛 - 「天下を狙った軍師」の実像 (中公新書)黒田官兵衛 - 「天下を狙った軍師」の実像 (中公新書)
(2013/11/22)
諏訪 勝則

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秀吉の“軍師”と言われた黒田官兵衛は、本当に天下を窺う野心家だったのか
各種の資料を考察しつつ、2014年大河の主人公を斬る、早すぎる決定版?
黒田官兵衛というと、関ヶ原の後で家康と抱擁した長政に「なぜ、刺さなかったか」と詰め寄った逸話が有名で、講談小説でも秀吉の軍師というキャラ付けが多い
戦国無双シリーズでは、銀英伝のオーベルシュタインに当てはめる始末だ(笑)
本書では、そうした“黒い軍師”イメージを確かな事跡を踏まえた考証で払拭する
本当の官兵衛は戦上手でありながら周旋の達人でもあり、茶道や連歌をたしなみ敬虔なクリスチャンでもあり、すべてに行き届いた戦国武将だったことが良く分かる
男前すぎる生き方に、岡田准一のキャスティングが回りまわってハマりそうだ

ただし、黒田官兵衛が秀吉の“軍師”だったかというと、これは怪しい
“軍師”の定義が帷幕にいて重要な判断に影響を与える存在だとすると、秀吉でいえばまず弟・秀長、ついで千利休がこれにあたる
黒田官兵衛はどちらかというと、合戦、交渉の最前線で差配する現場監督であり、秀吉の決めた無理難題を非常に優れた能力をもって解決する方面軍司令官である
地元の中国、山陽地方において頭角を現し、特に秀吉の九州征伐に際しては烏合の衆ともいえる諸大名の軍勢を束ね、本書では官兵衛なくして九州征伐は成功しなかったとまで言う
その功もあって豊前に12万石を拝領し七奉行の直臣グループと同等の待遇を受け、秀吉が切支丹迫害を始めたときも官兵衛だけは除外された
秀吉自身は官兵衛がクリスチャンであることに激怒しており、それがなければ本当の右腕になれたかもしれない。野心より、信仰を選んだのが実際の官兵衛なのだ

関ヶ原の戦いにおいて、九州を席巻し戦いが長引けば天下を窺う勢いだったという講談があるが、これは事実無根と言っていい
黒田家は早くから家康と通じていて、長政が東軍の諸将の押さえから吉川広家への工作まで奔走していた
主力の黒田武士は家康ともに東国にあり、官兵衛が集めたのは雑多な3400名あまり。豊後には西軍に使嗾された大友統家が上陸し、石垣原において激突、多数の犠牲を出している
九州における東軍の優勢は、鍋島直茂や加藤清正ら有力な大名を懐柔したからであり、とうてい制圧する力などはなかった
戦後に筑前52万石の大藩となり、明治まで存続したことを考えれば関ヶ原最大の勝者ともいえるだろう
福岡城を築いて福岡県の由来となり、戦乱で疲弊した博多を復興するなど、官兵衛の残した足跡は大きい。伊達政宗ばりに人気が出て、しかるべき武将である
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コメント

No title
私のブログも来年の大河のせいか、播磨灘物語のアクセス数が増えてますね。
司馬遼太郎は、官兵衛の信仰は、流行にのっただけとしていますが、本当のところは、本人しかわからないような気もします。
確かに、伊達政宗なみに人気が出ても良い気はしますが、どうもすがすがしさに欠けるような気がします(笑)
Re: No title
“黒い軍師”というイメージが先行してますからねえ
吉川英治も『黒田如水』という小説で官兵衛を取り上げているので、『播磨灘物語』はそれに対抗する気だったのかも
アクセス対策に読み直して記事するつもりです(笑)

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