『峠』 下巻 司馬遼太郎

会津藩も悪役です

峠 (下巻) (新潮文庫)峠 (下巻) (新潮文庫)
(2003/10)
司馬 遼太郎

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江戸開城、徳川慶喜の蟄居と戊辰戦争は新たな局面を迎えた。“武装中立”の方針を貫きたい継之助は藩内を命がけで説得し、会津藩の外交工作も退ける。しかし戦火が越後に至り、薩長と東軍の戦いが藩境に及んだことで、継之助自らが官軍への談判を余儀なくされた

いよいよ官軍相手の北越戦争が始まる
しかし下巻の半分以上を占めるのは、継之助が藩を戦いに巻き込まず、かつ東軍と官軍の仲介を買って出る地位を得るための政治的な活動である
司馬はその理想的な態度に対して、安田正秀の口を借りて猛爆撃を加える。事を起こすに成功するか否かを軽んじる陽明学的な発想で、藩を滅ぼそうとしているのではないか
一見きわめて現実的に見える継之助も、安田の口撃にはたじたじで、サムライとしての美意識を持ち出さざるえなかった
紆余曲折はるものの榊原家すら官軍についた北陸戦線で、たった七万石の長岡藩が官軍に楯突けたのは、継之助の才能と意地によるものといえるだろう

北越戦争で継之助に抜擢された山本帯刀(山本義路)は、その後官軍に捕縛され刑死。維新後に山本家は再興を許されず、明治16年に許されたが帯刀の長女が戸主となり跡継ぎがいなかった
そこで同じ長岡士族の高野家から養子に入ったのが、山本五十六だった
そんなわけで継之助と山本五十六を重ねて読んでいたのだが、少しあてが外れた
薩長と奥羽越列藩同盟に挟まれた長岡藩の立場が、戦前の日本というより戦後の日本に近いからだ
二大勢力に対して第三極になることは可能か。いわば戦後日本が重武装を果たした上で、中立が可能であるかをシミュレートしたかのようだ
もちろん幕末維新の情勢と冷戦、あるいは以後の日本にそのまま当てはまるわけもないが、国家の自存自立という美名にこだわることがいかに危険か
河合継之助という極めて有能な存在をもって語らせたと思う

司馬があとがきで書いていたことが意外だった
河合継之助をもってサムライを描きたかったというのだ
江戸時代の侍は、儒教から形而学上的思考を身につけた教養階級で、実利で行動する戦国武者とは隔絶した存在だった
「どう行動すれば美しいか」にこだわる武士道倫理と、「どう思考し行動すれば公益のためになるか」の江戸期の儒教によって生まれた幕末人は「多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品」で、だからこそ現代にいたるまで世界語であり続けたのではないか、という
サムライの存在は日本人を勇気づけてきたが、ぎりぎりのところで「美」を選ぶ価値観は政治を誤ると、本作はその限界をも描いている


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