『ノルウェイの森』 下巻 村上春樹

「自分に同情するのは、下劣な人間だけだ」

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

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僕と直子は京都の山奥にある療養所で再会する。直子はそこで元ピアノ教師のレイコとともに心の病を癒していた。僕は直子と文通しつつも、女子大生の緑と恋人未満の交際を続けていく。しかしある日、直子との文通を途絶え、緑からは関係をはっきりさせるように迫られて…

改めて読み直して、優等生的な文学だと気づいた
至近まで距離を詰めつつも最後の壁を壊せない、遠くに光る憧れのような直子への恋と、意図せざるうちに近づかれ、いつの間にやら抜き差しならぬ緑との恋。2種類の恋愛が絡み合う
直子への恋が観念的なほど遠く、星を見るような思慕の念だとすると、緑との恋は猥雑な世間の中で接近したゆえに起こった現実的な恋である
書物を通じて欧米から入ってきた恋愛観念と、現実の女性と通じて起こる下世話な恋の間に揺れる葛藤は、日本文学でよくテーマになってきたもので、それを1968年から1970年を舞台に堂々と書き上げたのが、この作品なのだ
売れ過ぎた作品は薄くて浅いものが多いが、この小説に関しては読み返すに値する名作だ

堀辰雄の文脈からすると、結核ならぬ精神病を現代の死に至る病としているのが特徴
いちど人間の魂が傷つくと、どんなに若くても死相を帯びて、命をすり減らしていく。『海辺のカフカ』『スプートニクの恋人』にもそうした描写があった
直子は姉とキヅキの死によって回復不能な傷を負い、最後は死者の声を聴くほど病んでしまう。それは僕との“恋愛”をもってしても癒すことができない
それは運命だというほど断定されないが、緑の指摘するように「肝心なところで自分の世界に閉じこもっている」せいかもしれない
精神病は普遍的なものである。療養所を出た僕は、世間の人間のほうが病気に思えるほどだ
精神病を自覚する者が“患者”になるに過ぎず、暗に社会が病んでいるとほのめかされている。永沢のように病んだ社会に過剰に適応できる者も、また病気だろう
社会に適応できない者が精神病と処理されているに過ぎないのだ
精神病を通じて病んだ社会を告発することは、フロイト以来の心理学の本懐である

「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」
キヅキが死んだときの認識を“僕”は再確認し、死を意識した大人になる
それはひとつの成熟だが、到達点ではない。哀しみから学んだものは次の哀しみの免疫にはなれず、成熟は完了しない
小説のラストでは緑に「どこにいるの?」と聞かれ、“僕”はどこにいるか答えられない。居場所がない自覚することが大人になることなのだろうか
本作の主人公は、傍目には今でいうリア充である(苦笑)
しかし、彼のナンパは欠落を意識するがゆえの埋め合わせる行動であり、本当の意味で充実しているわけではない。欠落を補償するための性交は、AV、エロゲーによるオナニーと差はないだろう
人はみな完全には充足していない。完全なリア充など存在しないのだ
ほいほい女の子と付き合える主人公に移入できないという声も聞くが、作品のテーマそのものは多くの人びとに響くものである


前巻 『ノルウェイの森』 上巻

ノルウェイの森 [Blu-ray]ノルウェイの森 [Blu-ray]
(2011/10/26)
松山ケンイチ、菊地凛子 他

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