『会津落城―戊辰戦争最大の悲劇』 星亮一

大河の展開より早く読めました

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)
(2003/12)
星 亮一

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会津藩はいかに戦い、滅んだのか。会津戦争の実相を伝える星亮一の戊辰四部作最終巻
『奥羽越列藩同盟』が東北・北陸全体を捉えたのに対し、本書は最も激しい主戦場の会津に焦点をあてる
会津戦争では白虎隊や女性の殉難といった悲劇が美化して語られがちであり、藩の戦略・対応自体を問われることが少なかった
著者はそうした悲劇を美談化することを拒否し、藩首脳の指導不足や硬直性として批判していく
会津では数千ものの命が失われた。戊辰戦争は日本が最初に経験した近代戦ともいえ、その犠牲や影響は明治以後も尾を引いていく
会津戦争の実態に近代日本人の悪しき体質がある、とする著者の言葉は重い

会津藩はなぜ敗北したか
『奥羽越列藩同盟』では農村との関係が疎遠であることを強調されていたが、近年では板垣退助の総括ほど極端なものではないと分かってきたらしい
山川大蔵日光口での戦いで周辺の猟師を味方につけて、薩長についた宇都宮藩兵相手に大勝し、憤った薩長方は捕まえた猟師の腕を斬り落とすという報復に出ていた
しかし、全般的に階級の隔たりが大きかったことは否めず、会津兵が官軍の宿営に使われないように焼き討ちした地域では官軍への支持が大きくなり、戦線によっては会津を恨んで官軍を引き入れる農民も現れた
官軍によって徴発された農民たちは大きな負担を強いられたが、会津に加担する動機にはなりえなかった
洋式化が浸透した官軍に対し、会津の後進性は否めず、ある戦線が抜かれても他の戦線が知らずに孤立する、戦機を逃すことが多かった。首脳陣に大局を把握する意識が薄く、戦線同士で連絡をとるような士官教育がなされていなかった
少しフォローすると、会津の中で気鋭の者は京に出て敗れていたことが痛い。京都守護職を引き受けた藩主容保は、大坂からの退却で権威が失墜しており、保守・俗吏の留守居役が威張っていたことが藩の指導を中途半端なものにしてしまった

大河ドラマ『八重の桜』に関係しそうなところを拾い上げてみる
ヒロイン八重に関しては、

 砲術師範役山本覚馬の妹八重子は、男装し、両刀をたばさみ七連発銃をかついで城に入った。衣装は鳥羽伏見の戦いで戦死した弟三郎のもので、弟の仇討ちの覚悟だった。本丸に向かうと大勢の女中が主君容保の義姉照姫を警護していた。皆、懐剣をもって城を枕に殉死する覚悟だった。
 照姫は重臣の妻女に、籠城のさいは自分の周囲に集まるように指示を出していた。どの範囲までかは分からないが、これは立派な指示であり、もたついた男子にくらべると、会津藩は女子のほうがましだった。
 八重子は男たちに混じって城壁から敵を銃撃した。(p137-138)

これだけである(苦笑)
一月の籠城戦をもたせたのは女性の活躍があったればこそであり、八重はそれを代表する存在として描かれるのだろう
対照的なのが、保守派の代表格とされる西郷頼母
会津戦争の天王山となるはずだった白河口の総督を務めながら、あっけなく抜かれて再び更迭。籠城後に三度復帰するも会議で重役一同の切腹を主張する狂乱ぶりで、新体制後は仙台ついで榎本の艦隊で箱館に向かうも戦うことはなかった
白虎隊の悲劇も多くの女性たちの犠牲も首脳陣の至らなさから発しており、どこまでそれが問われるか、大河では注目したい


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