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『悪童日記』 アゴタ・クリストフ

映像化は不可能でしょう  → されてた




双子のぼくらは、ちいさな町に住むおばあちゃんの元に疎開した。近所のおとなたちから魔女と呼ばれるおばあちゃんの家事を手伝いながら、ぼくらは辛さやひもじさに耐えるために特訓をし、起こった出来事をノートにとる。同居する外国の将校と従卒、障害をもつ隣人とその娘、司祭と女中、そして母と父、様々な人と関わって二人は…

ずいぶん前に、富野監督が推奨本としてあげていて購入していた
読んでみると、なるほど監督の作品と重なるものがある
主人公である「ぼくら」は祖母の家に疎開し、外国に占領された街のなかで生活していく。貧困から破綻した生活を送る「兎っ子」や、子どもに鞭打たせる同性愛者の将校女として奔放に生き過ぎる女中の行いを観察し、常識が打ち破られた戦時下の世界、あまりにむき出しに欲望が露出した世界を短編を連ねた手記形式で描いていく
「ぼくら」は自らの内面は深く取り上げないが、傍観者ではない
オリバー・ツイストのように善良な視点キャラではなく、ときにサバイバルとして、ときには少年じみた正義感から悪行を行う。手記形式の観察している部分が長いので、「ぼくら」の下した決断は、峻烈に映って読者に強い衝撃を与える


ウッソのような「ぼくら」

解説の方が作中の「ぼくら」を「個」を確立して凄いと讃えるのに、苦笑してしまった
「ぼくら」は両親と別れ、保護者というより生活パートナーの祖母と暮らすのに、「個」を持たざるえなかった。彼らの「個」は作家の「個」ではなく、孤児の「孤」なのだ
外国に占領されては尻尾を振る大人たちを、彼らは信用できない。戦地で生きることを学んだため、平時の道徳はハナから知らないし役に立たない
断食の特訓のように自らの体で身につけ、感じたことだけを信じる
「ぼくら」はウッソのようにタフで、常に透明さを保って生きていく。もちろん、それは小説的な存在であるからだが、荒廃しきった世界に適応しすぎたゆえの透明であるともいえる
汚いと感じた女中を吹き飛ばす顛末には、ワタリー・ギラのような心境にならざる得ない
母を失い父を踏み越えて別れた双子は、ドイツに象徴される、冷戦で分断されたヨーロッパを表したのだろうか


アゴタ・クリストフ(ハンガリーは名字→名前の順なので、本名クリシュトーフ・アーゴタ)はハンガリー出身で、子ども時代にドイツの占領を経験し、戦後の共産党政権で結婚し1956年のハンガリー動乱でスイスに逃れた
第二次大戦中に疎開を経験し、たいそうひもじい思いをしたが、その時代が「一番幸福だった」と語っていたそうだ
本作は固有名詞がほとんど登場せず、まるで童話のような言葉遣いなのに、写実的な光景が浮かんでくる。創作をハンガリー語で覚えて、フランス語で発表する形となったことが、小説に独特の風味を与えているようだ
徹底して記号で表現して、胸を突く情景を著す。これぞ、小説の極致といえよう
続編として『ふたりの証拠』『第三の嘘』で三部作をなしているそうなので、購入次第読んでみたいと思う


*23’6/19 加筆修正

次作 『ふたりの証拠』




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