『自家製文章読本』 井上ひさし

巻末の解説も鋭い


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いい文章を書くにはどうすればいいのか。井上ひさしが文豪や研究者の理論を参照しつつ、独自の感性で説く文章読本
今回は文法ではなく、表現の上から日本語の文章を分析していく。文法についても触れるが、より実践的にどう使うかが重視されている
著者のいうところ、作家たちの文章読本にはそれぞれの美学がこめられていて、偏りが激しい
例えば三島読本は、擬音表現であるオノマトペを卑しいとし、森鴎外の文章を称揚したが、実際の森鴎外はオノマトペをふんだんに使うこともあり、宮沢賢治を認めないことになる
谷崎読本の場合は、「簡」にして「要」を得る文章を勧めながら、本人の小説は「簡にして要を得ない部分に魅力がある」という鋭い突っ込みが入る(笑)
言文一致運動から転じた「話すように書け」といった文章の常道にも真っ向勝負を挑み、それを見事に押し切っていく著者の博識、洞察には唸らされた

名文と聞いて、どの文章読本でも取り上げられるのが志賀直哉
著者ももちろん志賀の文章を認めるが、名文=透明性の高い文章」という意見にはがっぷり四つで反論する
そもそも「名文=透明性の高い文章」論が広まった発端は、アランの『芸術論集』にあった
志賀も愛読したこの本には、詩は聞かれるものだから韻が大事になるが、散文は眼で読まれるものだから余計なものを剥ぎ取らねばならないとしていた。詩のようにライブで聞くものではないから、下手な強調は邪魔になるというのだ
これに対し著者は時枝誠記の文章論を引く

言語表現あるいは言語芸術というものは、これは時間的に展開していくものである。言葉をかえて申しますと、一目で全体を見渡すということはできないものなんで、つまり時間の一刻、一刻にそれが展開していく、そういう性質を持っており、これと類似したものは音楽である。音楽は時間の上に変化していく、時間の上に流れていく芸術である。言語も同じように時間の上に流れていく。私がいまこうやってお話している私の思想を、私の話を一目でずっと捉えるということは、これは不可能なのであります。(p27-28 時枝誠記「国語研究」『文章論の一課題』の孫引き)

つまり、散文と詩は対立するものではなく、文章は楽譜のような存在なのだ
極めつけは、『城崎にて』の評価だ。数々の文豪が透明性が高いと褒め称える名文を、むしろ技巧の極致とし、文章意識の高く修辞が尽くされているとする
なぜ、文豪たちは透明性の高い文章と評したのか。おそらく、彼らの文章が個性的すぎたからではないか
素人は文章読本のことを真に受けずに、どうやったら受けるか、人目を惹くかという次元から文章を練るべきというわけだ

いい文章を書きたきゃ、名文を読むべしということで、文章の引用が非常に多い
ものによっては数ページに渡ることもあるので、唖然させられるが(苦笑)、それぞれ意味のある例示なので抽象論に終始するより理解は深まるだろう
そうしておいて「文章の燃料」の章では、『よい文章をいくら読んでも、われわれは「解釈」を手に入れるだけではないか』(p205)と突きつけられる
いい文章を書くには見よう見真似だけではダメで、なんのために、なにを、どのように、書こうとしているのか。それを必死に考えることがとりあえず文章の燃料になる」(p220)
いい文章を書く秘訣は、技巧ではなく動機にあったのだ


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