『新日本プロレス「崩壊」の真相』 別冊宝島編集部

今となっては、懐かしい話

新日本プロレス「崩壊」の真相 (宝島社文庫)新日本プロレス「崩壊」の真相 (宝島社文庫)
(2007/01)
別冊宝島編集部

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ゼロ年代の新日本プロレスがなぜ低迷したか。猪木引退後の迷走を関係者の証言から検証する
ひと言でいえば、猪木批判の書である(笑)
団体の財政を大幅に改善した草間政一社長は任期を残す形で辞任を余儀なくされたが、ロス道場やアントン・ビジネスなどの不透明な資金の流れが槍玉に上がり、猪木と猪木事務所の反発を買ったからだという
新日本を株式上場する計画があったときも、猪木が名義を主張する株券が佐川清(佐川急便創業者)から変えられていなかったことから頓挫し、このときを逃していなければユークスへの子会社化もなかったとか
驚いたのはユークスへの“身売り”に関しては猪木と猪木事務所の対立が生じていて、新しいスポンサーを引っ張って新日本を買収したい猪木事務所に対し、猪木は独断でユークスへの身売りを確定したことだ
記事では「夢の高効率発電が実現したからでは」と推測しているが(苦笑)、近すぎる身内との内輪もめに嫌気がさしたのかもしれない

この手の本でよくあることだけど、立場によって言っていることが大きく変わる。猪木の秘書、坂口泰司によると、アントン・ビジネスに団体の金が流れたことはありえないとなる
そうした顕著な例のひとつが長州体制への評価で、小佐野景浩によれば90年代を支えたのは現場監督としての長州であり、暗雲がたちこめるのは猪木が選挙に落選して新日本に戻ってきたからとする
しかし、猪木の懐刀、新間寿に言わせると、「現場監督としてはよくても、マッチメイカーとしてはゼロ」。2005年に永田と前田がやりあったとき、相手にするなと指示したそうだ
某レスラーへの金銭トラブルやWJの顛末をみると、90年代の快進撃はゴマシオこと永島勝司など裏方の手腕が大きかったと見るべきだろう

本書の初出は2006年1月で、新日本プロレスにとってまさにどん底の時代
2001年の藤田・ノートン戦から格闘技路線がより強くなり、2005年10月にはブロック・レスナーが藤田・蝶野との3WAYマッチでIWGPを獲らせるも、契約で揉めて翌年7月に王座剥奪を迫られるという屈辱的な事態を招いている
9月に棚橋弘至が初めてIWGPのベルトを巻き、今の興隆につながっていくも低迷は長かった
長州・永島体制後に「マッチメイク委員会」に参加した渡辺秀幸の談話もあり、かの円天にドームのチケットをさばかせていたなど、驚愕のネタもある
プロレスから離れた人も戻った人も、本書で暗黒時代の深淵を覗いてみてもいいのではないか
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