『紫禁城の黄昏』 レジナルド・フレミング・ジョンストン

訳者のあとがきの充実から、岩波でよいかと

紫禁城の黄昏 (岩波文庫)紫禁城の黄昏 (岩波文庫)
(1989/02/16)
レジナルド・フレミング ジョンストン

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清朝最後の皇帝宣統帝溥儀の家庭教師を務めたイギリス人ジョンストンによる、溥儀と紫禁城の回顧録
ジョンストンは大英帝国の官僚で植民地経営や中国との折衝に関わっており、清朝が国民党政府によって終わったあとの1919年に紫禁城に入り、溥儀が紫禁城去る1924年までを、一人の清朝関係者として描いている
訳者のあとがきによると、原書は前半に変法運動から滅亡までを振り返った一~十章と、変法派の評伝などもあったが、文庫にするにあたって割愛されている
前身は植民地官僚であり、家庭教師になってからは王朝の価値観に浸かった著者は、決して客観的な観察者ではないし、政治色の濃さから観察記として成立する部分だけ選んだのは正解だろう

『蒼穹の昴』を読んだあとだと、どうしても種本として見てしまう
たとえば、西太后の使っていた宮殿のひとつに、乾隆帝が最後に過ごした宮殿があり、そこにはただ山があって皇帝は瞑想をしていたという。小説では、西太后がそこで乾隆帝の亡霊に伺いを立てる場所に使われていた
また、康有為に対する梁啓超の弔辞として以下の言葉を紹介している

「新中国の歴史を書こうとする者は」と梁啓超は述べている。「その第一章として、一八九八年の事件以外のものを据えることはできない」。本書を書くにあたって、私はその示唆にしたがった。(p426)

『蒼穹の昴』に始まる浅田次郎の中国サーガはおそらく、この言葉に規定されていると思う
清朝が滅亡したあとに紫禁城で皇帝を温存したのは、北京の国民党政府が立憲君主制の余地を残す意図があるようで、イギリス人のジョンストンは紫禁城を立憲君主の宮廷に啓蒙すべく家庭教師を務めていた
立憲君主制の日本人としてはイギリス人の活動を目を細めて見てしまうが、こうした考え方は現実の中国ではずっと少数派で現実味のないものだったことを抑えておかなくてはいけない
立憲君主制へのはかない夢が本書の醍醐味といえる

そうした著者の偏向を抑えて読めば、面白い観察記だし、一人の人間が自由を手にする物語に読める
皇帝の側室がなくなったら、それに仕えていた宦官が遺品を勝手に懐に入れる習慣とかはにわかに信じ難い話もあれば、ある事業に予算をつけるといろいろと口を出して賄賂をとり末端に行くとバカみたいな金額になっているとか、日本のテレビ制作や原発の下請けに通じるような身近な社会問題もある
中国の軍閥の駆け引きなど、著者の立場から真に受けられないが、満州を独立させる構想など興味深いものがある
各方面に大きな影響を与えている古典であるので、訳者のあとがきをしっかり読んで当事者の証言として付き合おう


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