『大清帝国』 石橋崇雄

清朝のイメージが変わる一冊

大清帝国 (講談社選書メチエ)大清帝国 (講談社選書メチエ)
(2000/01)
石橋 崇雄

商品詳細を見る


女真族の一部族がいかにして、中華世界に君臨したか。現代中国を規定した巨大王朝の全貌に迫る
清朝というと辛亥革命の文脈から征服王朝」の烙印を押されがちである
しかし、現実の中共政府は清朝の領土・構造を引き継いでおり、本書では清朝を既存の華夷秩序を超越した世界帝国として捉え直し、ヌルハチからホンタイジ、順治、康熙、雍正、乾隆までの発達と変遷を辿っている
清朝の特徴を為すのが八旗制だが、ヌルハチの代から漢族、モンゴル族の八旗が存在していた
マンジュ国時代から多民族国家として始まっているからこそ、漢族やモンゴルを上手く扱いながら、満州族のアイデンティティを保つことができたのだ

清朝が「征服王朝」といえないように、明朝も「漢民族の王朝」と言い切れない
そもそも漢民族の定義が政治・文化概念であると同時に、明朝自身が特に永楽帝に代表されるように元朝を引き継ぐ意識を持っていた。朱元璋ですら、漢族と非漢族を「一視同仁」するとしていた
しかし、明朝は北京を首都にしたものの、モンゴルを取り込むことができなかった
清朝は明朝の構想を受け継ぎ、モンゴルを包括した世界秩序を作り出したといえるのだ
新しい世界帝国を完成できた理由は、マンジュ国が持っていた柔軟な八旗制民族ごとに三つの顔を使い分けたことだ
満州の八旗に対しては満州族の首長(ハン)として、モンゴルに対してはモンゴルのハンとして、漢民族に対しては天命を受けた皇帝として振舞った

八旗は王朝成立後に役人化が進むものの、元はそれぞれ皇族に仕える旗人であり、中国では宋代で絶滅した貴族階級であった。皇帝と皇族も君臣ではなく肉親の関係であり、皇帝でも無視できない存在だった
満州族の慣習で生前に皇太子を立てることが許されず、中国を統一した康熙帝ですら取り消しを余儀なくされた(雍正帝のときに後継指名を死後公開にすることになる)
立太子がないことで皇族はお互いを切磋琢磨することになり、有能な後継者を生むことができた
宦官を重用しないなど、満州族の習慣を持ち込むことで従来の王朝が持っていた弊害を押さえ込むことができた

しかし、ハイブリッドな帝国を維持するのも容易ではない
満州族の風習を維持したまま、漢皇帝を演じるために苛烈な思想統制も必要になり、辞典が編まれるともに焚書も行われた
『蒼穹の昴』では亡霊で活躍した乾隆帝も、本書ではケチョンケチョンである
周辺国を畏服せしめる「十全武功」も異民族を「藩」(従属国)して安全保障上、世界帝国として完成させたものの、国庫はすっからかんになり国力が衰える契機となった
また、晩年に和珅という官僚を猫可愛がりしたり、汚職を蔓延させた
親の代までで内政面の課題にめどがついたから、鬱屈してしまったのだろうか
清朝の「八旗・漢・藩」の構造は、例えば「藩」が「民族自治区」という形で中共政府に引き継がれている。「八旗=党員」「漢=人民」と当てはめるのは少し強引?
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

コメント

コメントの投稿

非公開コメント


(この一行は、各ページ下部に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カテゴリ
SF (22)
RSSリンクの表示
リンク
FC2 Blog Ranking
ランキング
アクセスアップ!?
検索フォーム
はてな
この日記のはてなブックマーク数
タグランキング

サイドバー背後固定表示サンプル

サイドバーの背後(下部)に固定表示して、スペースを有効活用できます。(ie6は非対応で固定されません。)

広告を固定表示させる場合、それぞれの規約に抵触しないようご注意ください。

テンプレートを編集すれば、この文章を消去できます。