『宦官―側近政治の構造』 三田村泰助

新書や文庫で何度も再版されているようで

宦官―側近政治の構造 (中公文庫BIBLIO)宦官―側近政治の構造 (中公文庫BIBLIO)
(2003/03)
三田村 泰助

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宦官は王朝政治の中でいかなる役割を果たしたのか。政治に介入する宦官の視点から、歴代の中国王朝を振り返りその実態に迫る
『蒼穹の昴』のつながりで、積み読から手にとってみた
第一章に宦官の起源や去勢の仕方に触れられていて、手術の具体例として清朝に滞在した英国人ステントの記録が上げられている
その内容はほぼ『蒼穹の昴』で描かれたものと同じで、阿片を含ませながら手足を縛り意思確認してから去勢にいたる。刑罰なら玉だけの例もあったようだが、宦官となると竿も玉もとる完全去勢が求められた
小説では危険な手術とされていたものの、ステントの記録によれば見かけが野蛮なわりに言いつけさえ守れば生存率が高く、長い伝統で去勢の技術も洗練されていたようだ
本書はこうして生まれた宦官の実生活、皇帝との関係に触れつつ、後半には宦官と各王朝の因縁を洗い直し、ほぼ健常な士大夫によって綴られた史書とは違う中華帝国の姿を映している
軽妙な語り口で「ホンマデッカ!」と思う逸話も折り込みながらも、要所を押さえた不思議な通史となっている

『三国志』十常侍など、歴史物で悪役を演じることが多い宦官だが、本書では中国王朝の国制から必要不可欠な身分とする
前漢の高祖からして、晩年は宦官の膝枕で昼寝をしていたと言われ、孤独な専制君主にとって安らぎを与える存在だった
また下層階級からすると、宦官は去勢するだけで立身出世が図れる手段であり、建前はどの身分でも資格がある科挙試験より現実的な目標だった
宦官たちの中には政治を差配できる有能な者もけっこういて、士大夫階級の反感を買う
しかし、士大夫たちは儒教を学ぶ知識人階級であり、そうした儒者の建前論を補う存在として俗物論者の宦官が必要とされたようだ
前漢が儒者のクーデターで倒された反省から、後漢では外戚と宦官が早死の皇帝を担ぐスタイルとなり、宦官は養子をとって家系を残すことが許された
後漢後期では清流官僚は絶滅状態となり、宦官やその類縁の家系が幅を利かすこととなる
末期において宦官殲滅をかかげた大将軍何進は妹を宦官に皇后にしてもらった屠殺業者であり、袁紹の父は外戚・梁氏の腰巾着で有力宦官から同姓のよしみで引き立てられた宦官派貴族だった
宦官を義理の祖父に持つ曹操には、出来の悪いブラックジョークにしか見えなかっただろう

唐代は中国史上珍しく儒教の地位が低く、怪しげな仏教などが広まって多様な宗教・思想が蔓延していた。その影響で君臣の関係が薄弱になり、軍隊を持った宦官が自立化しロボット皇帝を擁立する事態が続出した
その反省かモンゴルを北に追いやった明朝では、宦官に儒教を教える学校が設立され、士大夫と丁々発止のやりとりができる宦官官僚が生まれた。秘密警察である東廠の統制も相まって、宦官が皇帝に歯向かうこともなくなったという
著者は宰相制を廃止したことで皇帝の負担が増え、縦割りの官僚たちに丸投げすることを衰退の原因に挙げるが、俗物の宦官が儒教観念を身につけたために、すべての階層に儒教が浸透し相対化できる存在を失い、自閉的な政治環境が生まれたこともあると思う
初出が昭和38年であり若干、男尊女卑な表現は残っているが、宦官を一人の人間として扱うのは先駆的で、中国王朝の意外な側面を紹介してくれる名著である
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