『日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った』 岡田英弘

外圧で動く日本の原型

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)
(2008/06/10)
岡田 英弘

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“日本”の「歴史」はどこから始まったのか。『魏志倭人伝』や『日本書紀』などを精査し、日本建国の起源を探る
直接の舞台は古代ながら、現代までの日本史を洗い流す壮大な書だった
冒頭に歴史に対する態度が表明され、邪馬台国の原点となっている『魏志倭人伝』がいかに政治的に歪曲されているかを解き明かす
実際の邪馬台国は古代日本の覇者ではなく、中国との交易を通じて他へ睨みを利かす存在に過ぎず、中国の史書で語られる“倭国”は中国商人=華僑によって作られた支店に留まっていた
ゆえに中華王朝の興隆と衰退に右往左往し続け、中国史のリアクションとしてしか存在しえなかった
それが変わる契機となったのは、日本の王朝が百済の存続を賭けて大唐帝国と争った白村江の戦で、天智天皇の弟、天武天皇の代に日本国のアイデンティティを確立させるために日本書紀が編まれたという

「倭国の時代」は中国史のリアクションで動いていたから、これを知るには中国を知るのが大事というわけで、前半は中国王朝の実態に紙数が割かれている
中国史の本とみなしていいほど、充実しているのだ(笑)
そもそも「中国人」は様々な部族が集まった都市の住人であり、一民族のことではない。首都の王・皇帝に対する臣民であり漢字を使うという政治・文化的概念である
中国の王は都市の主であり、それを引き継ぐ皇帝は商業税や金融を収入源としていて、農作物への現物は地方の役人や軍隊の維持費にあてられた。郡県制度はその地域の商業を独占するためであり、そこから吸い上げた収入で皇帝は軍隊を養い外征をして、事業を拡大した
住人の大半が農民なので農業立国に思いがちだが、実際の中華王朝は最初から商業国家であり皇帝の私企業だった
理想は直接征服して事業を独占したいのだが、それにも限界が生じてくる
その場合、帝国の枠外の友好部族を柵封に入れ、その部族長も事業の収益を得る。こうして政治力を得たのが「倭王」なのだ

『魏志倭人伝』の邪馬台国が司馬一族の功績のために誇張されていた以上に、『日本書紀』も歪曲、捏造があふれているらしい
天智・天武天皇の父、舒明天皇以前の記述はかなり怪しく、「神話」に属すると見ていいようだ
代表的なのは遣隋使の推古天皇で、隋の記録では男系の王がいることになっている。ここから聖徳太子の存在も疑わしくなっている(今の著者はどこかにモデルがいたと考えているようだが)
日本武尊の活躍を壬申の乱の天武天皇に被せているように、前例を捏造して行動を正当化しているので、白村江の戦の斉明天皇-中大兄皇子(天智天皇)コンビ推古天皇-聖徳太子コンビを重ねたように思えるがどうだろう

日本古代は抜けているので、基礎的なところでサプライズが多かった
飛鳥時代=奈良というイメージがあるが、その前身には大阪を中心とする河内王朝があり中国との交易が盛んで、現・羽曳野市には古墳がたくさんある。奈良の明日香村も大阪よりに位置しており、この時代の中心はなにわの地だったのだ
日本の王朝は独自性を強める度に内陸へ都を移していったことになる
本書は日本語の仮名遣いの成立過程や、『古事記』の成立時期への疑義(これは諸説あるようで…)から、外圧によって成立した日本国の性質が近現代の日本を縛っているという洞察まで含んでいて、日本を視る目を新たにしてくれる
上代から日本を考え直してもいいのでは


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