『それからの海舟』  半藤一利

エッセイか立志小説か、どのジャンルか迷う

それからの海舟 (ちくま文庫)それからの海舟 (ちくま文庫)
(2008/06/10)
半藤 一利

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江戸無血開城を成し遂げた勝海舟は、明治をどう生きたか。江戸っ子の著者が旧幕府側の立場から見る、“勝っつぁん”の立志伝
タイトルは「それから」だが、「それまで」が長い(苦笑)
約三分の一超が勝の前人生と江戸開城の顛末に当てられていて、さながら江戸でいちばん長い日の様相だ
正直言って明治の勝は裏方であって、もっとも鳥羽伏見後の後始末こそが一番の晴れ舞台だった。熱烈なファンとしては書かずにおれないのだろう
後半は旧幕府の代弁者として活動が中心で、旧幕の逸材を新政府に紹介したり、明治天皇と徳川慶喜の会見を実現させ、国賊とされた西郷隆盛の名誉回復に尽力したことから、仇敵・福沢諭吉との論争、時事川柳のような俳句まで知られざる勝の実像を描いている

やはり目が向くのは、江戸開城の経緯
大河ドラマでは勝と西郷の会合ですべてが決したようになっているが、実際には様々な駆け引きが行われていた
大きな存在感を示したのがイギリス公使パークスで、彼は薩摩に味方しつつも鳥羽伏見の戦い以後も幕府を正統な政権と認識していた
フランスのロッシュに対抗して薩長の肩を持ったように思われがちだが、条約の締結を幕府と行っていたから、その地位を認める立場に違いはなかったのだ
勝はその機微を知ってパークスと会い、パークス側から、もし江戸で戦いとなったとき、将軍慶喜を亡命させることを申し出たという
一方で、パークスは薩摩側に働きかけ、相手の政治指導者を抹殺することは国際法に反すると慶喜助命に動いた。内戦に国際法を適用するというのはどう見てもおかしいが、西郷はこれを受けて、勝との会合に臨んだ
外国の介入があったなどと、薩長側からの維新史では触れられないだろう
しかし、開城において勝が批判を一身に受けたのも事実で

「維新のころには、妻子までもおれには不平だったよ。広い天下におれに賛成するものは一人もなかったけれども(山岡や大久保一翁にはあとから少しわかったようであったが)、おれは常に世の中には道というものがあると思って、楽しんでいた」(p80)

著者は江戸開城の勝太平洋戦争終戦時の首相・鈴木貫太郎を重ね合わせている

維新後の勝は、『氷川清話』に代表される時事放談が有名だ
西南戦争の予測は大はずれで、西郷びいきから政府軍の敗北を予想していた。政府軍の技術導入を読みきれず、戦後は大久保から疑われることになった
ただ、もし政府が勝ったら、大久保たちは殺されるという予測はぴたりと当てている
鋭いのは、中国への見方
中国(清国)を日本と同じように見るのは間違いで、国家ではなく人民の社会であるとする。中国人は国家の利益=人民の利益とは捉えていないとする
100年経って、果たして日本人の中国観は進歩したのだろうか
勝は日清戦争をアジアの同士討ちとして大反対し、勝っても清国のめっきが剥がれて列強の侵略を助長するだけと予見した
中国を実地で調べたことはないはずで、この洞察力は恐れ入る
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