『風の武士』 司馬遼太郎

まさか○○○人ネタを織り交ぜようとは

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伊賀同心の末裔にして貧乏御家人の次男坊・柘植信吾は、ある時、天狗のような山伏とすれ違う。その後、代打ちとして通う町道場に刺殺事件が起きた。信吾はその背景にある謎の里、安羅井国を巡っての、幕府と紀州藩の争奪戦に巻き込まれて…


幕末を舞台にした作品だが、『花神』『翔ぶが如く』のような堅苦しい内容じゃない。忍者に異国の奇術が交わる、奇想天外な時代小説
主人公の柘植信吾は養子の口を待つ部屋積みの暢気な身分ながら、実は忍者としての修行も積んでいて、居合い術は天下一品
幼馴染のお勢以とセフレとして付き合いながら、おちのという道場主の娘を追いかけ、公儀隠密のくのいち・お弓ともねんごろになるという、エンターテイメントの王道を行く主役なのだ
その男女関係も男が勝手を通しているだけでなし、それぞれの女たちが転がらしているところがあり、昔の性に対する大らかさと捉えるべきだろう
いちおう新撰組も出てくるが、あまり歴史を意識せず、幕末シティハンターだと思って先の読めない展開を楽しもう

巻末の岡庭昇の解説が鋭い
思想家に近づいていく晩年の作品ではなく、前半の娯楽小説に司馬の小説家としての本性を見る。徹底した虚構の物語にこだわり、その渾身の虚構をもって自身の思想、信条、あるいは真実を表現するのが司馬小説だという

 そこには二つの本質がさし示されている。一は、徹底して巧緻な虚構であるゆえに、かえって“歴史そのまま”であるかのような、平ったくいえばいま関ヶ原から送られてきたTV生中継を見ているような錯覚をもたらす、という逆説である。二は、物語が作家自身を表現する装置ではなく、逆に徹底した物語をつくりあげるところに作家の“私”が賭けられている、というもうひとつの逆説である。(p275)

代表する長編小説に『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』があるが、小説として完成度が高いのはエンターテイメント性が高い『竜馬がゆく』だと思う
『坂の上の雲』は子規が死んだ後はエッセイの度合いが強く、『翔ぶが如く』は実は構成が上手くいかずお話が回っていない
圧倒的な筆力で読まされて納得してしまうわけだが(苦笑)、司馬の原点はエンターテイメントにあり。どこが史実でどこがハッタリかを考えるのが本当の楽しみ方だと思う
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