『鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間』 野口武彦

幕末ものを読むごとに、慶喜の評価が下がっていく

鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)
(2010/01)
野口 武彦

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幕末の関ヶ原、“鳥羽伏見の戦い”において何が勝敗を分けたのか。その戦いの意義、可能性を従来の定説に囚われず見直す
最近読んだ幕末の本は、主題の他に周辺事情がたっぷりというタイプだったが、本書はほぼ“鳥羽伏見の戦い”についてのみ絞って掘り起こしていく
新政府側、旧幕府側の史料を縦横に引用して、当時の政治状況、銃器、戦術などの技術水準などを細かく検証すると同時に、戦場の情景や身も蓋もない修羅場までを情緒豊かに描いている。非常にディープな事物が並ぶものの、引用のすぐ後に簡明な意訳があり、読みを滞らせることはなかった
本書では、戦力的には優勢とされた旧幕府側に立って、いかにすれば勝てたか逆転できたか、と問うことで戦いの性質を浮かび上がらせている

いかにすれば鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍は勝利、挽回することができたか?
純軍事的にはいくつも機会があった、といえるともに、可能性は低いと答えることもできる
なぜなら、旧幕府軍のネックとなったのは、人材の問題だからだ
まず、緒戦で新政府軍に機先を制されたのは、徳川慶喜の覚悟に問題があった
大軍で京都に討ち入れば、薩長や朝廷は恐れ入ってそのまま主導権を取り返せるという甘い読みがあった。すでに禁門の変という前例があったにも関わらずだ
薩長はすでに倒幕の決意を固めており、いざとなれば天皇を連れて落ち延びる手はずだった。結局、押し問答の末、薩軍に時間稼ぎをされるという、最悪の展開を辿った
そして、戦場を統括できる司令官がいず、部隊レベルでも作戦行動がとれる指揮官が限られたこと
慶喜は大阪城にいるので、陸軍奉行の竹中丹後守が伏見奉行所から全軍の指揮を執ることとなったが、彼もまた実戦の覚悟ができていなかった。戦闘が激しくなると泡を食って引き下がり、それに釣られて下げなくてもいい戦線が押し下げられることとなった
そもそも幕府軍は仮想敵をまず外国と想定していたために、陸軍は後回しになりがちで装備はともかく指揮官の育成までは手が回っていなかった
理屈の上で挽回できる作戦は立てられても、実行できる指揮官がいないのではしょうがない
江戸の旗本たちは役人は務まっても、軍人にはなれなかったのだ

戦いの舞台は京都南部であり、管理人の住んでいる地域にも非常に近い
宇治川はかつて暴れ川で、南岸には巨椋池などの沼沢地が広がっており、今は住宅地になっている広大な領域が池の底だった
中書島、槇島、向島と、“島”とつく地名が多いのも、古くは川からあふれ出た水が遊水池となり島同然であったためらしい
そんな郷土史もカバーしてくれているので、遠い昔の戦いをリアルに想像することができた
本書は『幕府歩兵隊』『長州戦争』に続く三部作だそうで、歩兵の兵装にはこだわりがある
一章を費やして、幕府軍が当時最新のシャスポー銃を使用したかを追究し、新政府側の記録から状況証拠を引きだしている。旧幕府側の史料が乏しいのが難点で、学界で認められるのは大変そうだ

幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団 (中公新書)幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団 (中公新書)
(2002/11)
野口 武彦

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