『王政復古―慶応3年12月9日の政変』 井上勲

今の維新は逆戻りだったりして

王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書)王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書)
(1991/08)
井上 勲

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慶応三年十二月九日、幕府が大政奉還した後に岩倉、大久保、西郷ら倒幕派によって王政復古の大号令が下された。この宮廷クーデターはいかなる経過で起き、いかなる意義を持っていたのか。朝廷を中心に幕末の政権交代に斬り込む
ペリー来航(!)から王政復古までを取り上げているので、てんこ盛りの内容だった
朝廷の周辺だけでなく、村上源氏を祖とする岩倉家の伝統御三卿の実態など他の歴史本が取り上げない、細かいところにも立ち入り、なぜ大政奉還が起こり王政復古で覆されたのか、詳細にわたって検証している
また、そうした事実の積み重ねを追うだけでなく、公武合体、大政奉還、王政復古の裏にある思想を読み取って、現代の政治にも通じる言葉で語られる
日本の過去にあった改革とは、革命とはなんなのか、この本から捉え直してもいいかもしれない

「王政復古」とは、いつの体制を復古するものなのか
幕府体制の限界は、徳川慶喜や幕臣ですら自覚していることだった
国防のために雄藩の力を借りなければならないが、幕府の役職は徳川家の家職制に端を発している。外様の島津家や毛利家を大老や老中に迎えるわけにはいかない
そこで大政奉還派は、天皇を頂点に将軍や諸藩の藩主を上院に、志士たちを下院に迎える「公議政体」を提案する
これは藩の存続を前提にした漸進的な改革に過ぎず、それゆえに支持者も多かった。しかし、これでは国民国家は作れない
倒幕派が掲げた「王政復古」とは、こうした政治構造を根底から変えることを意味していた
復古するものは“神武創業。建武の新政より、大化の改新より前に設定することにより、武士政権から摂関家までも否定し、今まで続く朝廷の慣習を全てを否定した
それゆえ、維新後に「廃藩置県」「四民平等」「国民皆兵」、そして「立憲政治」が実現できた
「王政復古」とは、前代未聞のちゃぶ台返しだったのだ

本書で主役みたいな存在を探すとすれば、徳川慶喜だと思う
彼が家康以来の英明と讃えられたのは、将軍候補に推す雄藩連合が喧伝したためで、それは御三家で傍流とみなされた水戸徳川の出だったからだ
養子に入った一橋家は名目の封土しか持たないため家門に使える配下はおらず、京都を統治するためには会津藩の松平容保とその実弟、桑名藩の松平定敬の力を借りねばならない
大政奉還に応じることで薩長に一矢報いるものの、今度は佐幕派の不信を買い戊辰戦争を防げなかった
評判のわりにイマイチなのは、地盤の薄さも一因と合点がいった
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