『長安から北京へ』 司馬遼太郎

文革期の中国紀行

長安から北京へ (中公文庫)長安から北京へ (中公文庫)
(1996/07/18)
司馬 遼太郎

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1975年、文革末期の中国に招待旅行として招かれた時のことをまとめた紀行エッセイ。井上靖を代表とする日本作家代表団として招待され、他に水上勉床野潤三らが同行した
南ベトナムを取材したときとは違い、中国側に読まれることを意識した文章で、違和感を覚えた事象にも「違和を観じた私が悪い、向こうにも向こうの事情がある」とかなり物わかりのいい内容になっている
中国側の反感を買って、自らの中国取材はおろか、他の作家の活動に支障がきたしてはならないという配慮が見えるのだ
しかし、それは単なる政治的配慮だけではなく、歴史の過程、基盤が違う文明と人々に対して、狭い価値観で図ってはならないという良識でもある
本書は地理的には“一衣帯水”を隔てるのみの中華文明に対して、理解の糸口を掴もうとする司馬の格闘が刻まれている

尖閣諸島で揉める昨今の日本では、「いつまでも友好という言葉だけを交わしても何も解決しない」という政論が良く交わされる
本書で司馬が注目したのは、日本人にとって「友好」は「親善」程度の意味なのに、中国人にとって非常に重い意味を持つということだ
例えば、欧米の慣習を受け継いだ日本は外交を政府機関同士のものと考えるが、中国は違う。中国は一文化人にも国家が関係機構をあげて歓待し、常連を「友人」「老朋友」と評価する

 このことは、中国(というより多分に中国人)の外交感覚がどういうものかということをよく示しているようである。中国人の思考法は、いまもむかしも形而上的でなく、きわめて具体性に富んでいる。相手国との友好というのは、その国の市民と友人となることだということに徹している。・・・(略)・・・世のどの友人関係においてもそうであるように、国家機関が自然人のように――つまり服務員たちの人格を介して――誠意と情誼に満ちて接してくれる。こういう外交を展開した国はむろん、史上、中国しかないであろう(p35-36)

司馬の訪中と同時期に、中国大使館が文学座の芝居にクレームをつけるという事件が起きていて、「友好」という言葉を具体化する傾向に対して、「知行一致」の朱子学の影響と見立てる

 私ども日本人の場合は日中友好というのは日中親善というほどの・・・・・・軽い意味として考えているが、中国の場合はどうもそうではなく、友好の本来の倫理である「」が厳格に据えこまれているのではないかと思える。・・・・・・信というものなくして中国人が成立しないほど伝統的にこの民族はこの倫理を大切するが・・・・・・要するに信を中心に友好という関係を結んだ以上、とくに“友好団体”が芝居で中国の近代史をあつかう場合、中国が確立した歴史観や人物評価に抵触するようなことはあってはならないと頭から思いこんでいるのにちがいない。(p187)

また「友」という言葉に対しても「朋」よりも重く、歴史的には任侠の「義兄弟」に代わるものとして使われたのでは、と推測する
いわば革命の「同志」という意味も含んでいそうで、司馬はその発端を広大な中国で商取引を行なう際に必要とされた概念と考える。中国人にとっての「友好」とは、非常に同質性を要求する言葉のようなのだ
つまり「日中友好」という言葉には、両国が価値観、認識を共有するという意味合いがあって、少なくとも国内向けにはそういうニュアンスで宣伝されると考えなければならないということか

*中国人といっても、大陸中国の、中共政府の、という留保をせなばなるまい

南ベトナムの時と同じく、中国に対しても歴史的な過程から把握していく
林彪事件のあとで批林批孔運動のさなかでさえ「友好」の概念のように儒教的価値観は健在であり、清の乾隆帝の「四庫全書」と中国の思想統制はつながり、文革期の毛沢東は「皇帝」のみならずイデオロギーを支配する「聖人」足らんとする
やや強引ながら、党を“主”と政府を“従”とする二重構造を中華皇帝の「宮中」と「府中」にたとえ、表の政府には実務家がいて、党には思想家がいて、新中国をやはり思想上位の国家と把握する
文革中でありまだその惨禍が世に知られぬ前なので、司馬は文革そのものは中国に不可欠な革命、運動と評価してしまっているが、ことの表現の自由に関しては例外的に苦言を述べていて、合理主義・個の尊厳・他者への尊重という西欧的価値観を改革に織り交ぜぬ限り、ただの儒教社会に還るだけと警告している
本書はあくまで紀行エッセイの範疇であり、断片的にしか語られないが、中国への試論としては面白い


ちなみに当時の日本作家代表団を迎えた代表は、小泉・安倍内閣時代に物議をかもした唐家璇
文革中にて、ところどころでプロレタリア文化大革命の偉大さを喧伝している。本人にとっては黒歴史だろう
司馬も文章では気を遣っているわりに、面倒を見てくれる通訳たちを「工作員と表現する(笑)。よほど腹に据えかねることがあったのだろう


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