『人間の集団について ベトナムから考える』 司馬遼太郎

司馬遼太郎の小説は「司馬遼太郎」でまとめたが、エッセイはどうしていこう?

*紀行→ノンフィクション→小説と考えて、小説-「司馬遼太郎」に入れました

人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)
(1996/09/18)
司馬 遼太郎

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米軍から撤退した1973年4月のベトナムから、“人間の集団”としての国家、南アジアと日本の関係などを考える
「われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきている」とし、“生の人間”から国家や社会を洗い直していく論考であり、様々な現地の人々の触れあいを伝える紀行エッセイでもある
冷戦が続き学生運動も盛んだった70年代にまったく政治イデオロギーに囚われず、ベトナムにはチャンパー(林邑)の昔から千年超える歴史で捉える
非合理的にみえる慣習や奇妙な新興宗教など前近代的な要素にも寛容で、むしろ懐かしさをも表明する。近代礼賛に見える作品とは別の司馬がいて、小説の指向性から離れた自由さが司馬エッセイの醍醐味なのだ
近代以降のベトナムは日本以上に“近代”に揺さぶられた地域であり、その毒をこうも目の当たりにしては「坂の上の雲」のようにはいかない。ついに小説化できなかった近代の課題が、本作では真っ向から語られている

司馬はベトナム戦争の性格に困惑している
本来、戦争は補給が決定づける。第二次大戦の日本は補給が潰えたときに壊滅した

しかし、ベトナム戦争にはその原則がない。その原則が戦争という人間社会の異常運動のキメ手の生理であるのに、その生理を持っていない以上、ベトナム戦争は戦争(内乱をふくむ)という定義からまったくはずれた別のものなのである。ハノイにもサイゴンにも密林の中の解放戦線にせよ、自前で兵器をつくる工場をもっていないのである。かれらが自分で作った兵器で戦っているかぎりはかならずその戦争に終末期がくる。しかしながらベトナム人のばかばかしさは、それをもつことなく敵味方とも他国から、それも無料で際限なく送られてくる兵器で戦っていることなのである。この驚嘆すべき機械運動的状態を代理戦争などという簡単な表現ですませるべきものではない。敗けることさえできないという機械的運動をやってしまっているこの人間の環境をどう理解すべきだろう(p13)

これは今の紛争地も同じで、外部から武器が流れてくるから紛争が止まらない。核によって「総力戦」にまで拡大した戦争が止まった反面、その力が紛争地で解き放たれたかのようだ。「機械的運動」という言葉は、アーレントの「全体的支配」を思い出させる
司馬は支援する大国だけでなく、ベトナム人をも無定見と非難する。しかし、なぜここまで殺し合いが続いてしまうのか
まず提示されるのが、冒頭の兵器の思想
遅れて近代に出会った民族にとって、なんの形で近代を見るかというと火器であり、白人であろうとアジア人であろうと銃弾が当たれば死ぬという事実をもって、その普遍性に感動する。その感動が軍事先行の近代化を生み出す
もう一つはサイゴン政府のイデオロギーが「反共」のみであること
その存在理由からして共産主義と戦うことを義務づけられていて、膨大な武器が集積されいつのまにか数字の上では世界第4位の軍事大国にしてしまった
これではアメリカの高官がいかに働きかけても、武器がなくなるまで戦争は終わらない
本作では触れられないが、ベトナム戦争はアメリカの援助が少なくなった1975年にようやく幕を閉じる

司馬は取材に訪れた南ベトナムのサイゴン政府より、北の共産主義の方がマシとする。彼を保守の論陣とする人からは、ひっくり返るような結論だったろう
なぜかというと、サイゴン政府にはアメリカが反共のために膨大な経済支援を行なっており、南ベトナムの経済は資本主義の基盤のない土地にむりやり高度消費社会を立ち上げたようなもので、アメリカが手を引けば崩れる砂上の楼閣だからだ
そもそも存在自体が非常に不自然で異常なのだ
ならば、北ベトナムが地主を大量殺戮した異常性を認めた上でマシと判断する
司馬からすると、共産主義は後進国が他国の介入を排除して近代化に対応する手段であり、とうてい最良とはいえないがひとつのやり方とする。あるいは、フランコ型のファシズム(全体主義ではなく権威主義的独裁)か
こういう点では非常に現実主義であり、むしろ日本の学生運動などの政治的正義にこだわる志向を警戒し、アメリカが南ベトナムで行なった「手前勝手な正義」と並べる発想は鋭い


ベトナム戦争でいうと、解放戦線と北ベトナムの革命観が実は違ったということがありまして

裏切られたベトナム革命―チュン・ニュー・タンの証言 (中公文庫)裏切られたベトナム革命―チュン・ニュー・タンの証言 (中公文庫)
(1986/11)
友田 錫

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解放戦線は南ベトナムで抑圧されていた人の寄せ集めであり、多様な連邦国家を想定していた
そもそもベトナムは北部に中国の影響が強く、南部にはチャンパの名残が色濃かった。全域を支配した阮朝も、南部に広範な自治を認めていて、本格的に統一されたのはフランスの植民地としてだった
この本は、解放戦線として戦っていた人が北ベトナムの労働キャンプに放り込まれた話で、北が南を「併合」した実状が痛切に語られている

*2012’07/27 加筆
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