『真珠湾の日』 半藤一利

今日までに読んでおきたかった

“真珠湾”の日 (文春文庫)“真珠湾”の日 (文春文庫)
(2003/12)
半藤 一利

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日米開戦はどういう経緯で決まり、真珠湾攻撃はいつどのように計画されたのか。『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』の著者が開戦の過程を追う
タイトルは真珠湾の日とあるが、本書の範囲は11月末の日米交渉から真珠湾攻撃の当日(12月8日)までを扱っている
著者はもちろん、開戦の決定には強く批判的である。描写の端々にどうにかならなかったのか、という想いが伝わってくる
その一方で、アメリカの高圧的な戦略、今一歩で妥協案で合意できる寸前での「ハル・ノート」の提示などに対しては、怒りと戸惑いを隠せない。日本の実情を知りすぎるほど知っていながら、なぜそこまで戦争に追い込むのか
宣戦布告なしの奇襲を国際法を無視したものと批判するが、露骨な英米の圧力、やり口に語るうちにそうした批判などいかほどの値打ちがあるかとトーンダウンしていく
かすかな平和の可能性を探しつつも著者の煩悶が聞こえてくるようだ

とにかく膨大な資料と証言から日米開戦を取り扱っている
真珠湾に関して断片的にあれこれ逸話を知っていたが、そうした個々の関係性、背景については本書のおかげでだいぶ整理できた
そして、初めて知ったことも多い
例えば、ルーズベルト大統領が1941年7月4日にとある会合で語ったとされる石油演説

「日本人がかれらの帝国の版図を、南方に拡大しようとする侵略的意図をもっているかどうかはともかくとして、かれらはアジアの北方に位置し、自身の石油をまったく持っていないのである。そこでもしわれわれが石油パイプを切断してしまったら、彼らは一年前に間違いなく蘭印に進出していたはずである。そうすればわが国はすでにして戦争に入っていたことであろう。つまり、われわれが石油を日本に制限しつつ送りこんでいることが、われわれ自身の利益のために、イギリスの防衛および海洋の自由のために、南太平洋をいままで戦争の埒外においているわけである(p56)

日本は石油備蓄を続け昭和14年に1000万キロリットルの備蓄を達成したが、その翌年にアメリカの石油輸出制限措置(許可制)が始まり輸入は激減したという
著者も、「勘ぐったこれをみれば」日本の備蓄量を見積もって圧力をかけ、日本を戦争に追い込む、または無力化することを狙っていたと推測する

とはいうものの、アメリカも圧力一辺倒ではない
陸軍から日本との戦争には数ヶ月の準備がいるとの声があって、日本に妥協した案も策定されていた
「南印(現・ベトナム南部)からの撤兵」「北印(現・ベトナム北部)の陸軍兵力削減」を条件に、3ヶ月以上の石油供給を認めるというもので、それは日本側が事実上の最終案として用意していた「乙案」と似た内容だった
北印の兵力削減の多寡とか、石油解禁の量と期間に関しては、大筋が決まれば事務レベルの問題。いったん石油が入れば、軍部の頭も冷えようというもの
もし、この妥協案が通っていれば、その間に軍部があてにしていたドイツはモスクワから撤退が始まり、「戦機」は遠ざかったとして日米開戦はなかったのかもしれない
少なくとも、11月23日まではこの方向で進んでいたのだ
しかし、なぜか11月25日に日本では悪名高き「ハル・ノート」が提出されご破算となる。なぜなのか
妥協案を同盟国で図った結果、中国国民党が猛抗議したことが一つ。また、いち早くアメリカを対独参戦させたいチャーチルが、日本海軍の奇襲情報をルーズベルトの耳に入れたという話があるという
(もっとも奇襲作戦は最高度の機密であって、真珠湾攻撃には各指揮官に無線ではなく命令書で渡されているので、イギリスの情報は偶然当たったガセのようなものらしい)
イギリスの情報公開法では、最高で70年引き延ばしが許されるそうだし、諜報を重視するお国柄から永遠の謎として残るかもしれない

じゃあ、「ハル・ノート」の提出で全ての可能性が断たれたといえるのだろうか
あの人はハル・ノートの文面から、「試案であって拘束力なし」(Ten-tative and without commiment)を見出して

 吉田茂のように冷静になれる人は、「これは最後通牒なんかじゃないよ。どこにも交渉打ち切りとは書いてないじゃないか」と押しかけてきて、東郷にいった。さらに、
「これでもって交渉をこのままつづける。そのことが大本営政府連絡会議で聞き入れられなかったら、かまわんから辞表を出せ。君が外相を辞職すれば閣議は頓挫する。無分別な軍部も少しは反省するだろう。君は殺されるかもしれん。それで殺されたって、男子の本懐というべきだ。骨は俺が拾ってやる」(p112)

当時の日本の計画から考えれると、時すでに遅しではあるのだけど、外交の世界では「ハル・ノート」=最後通牒かは議論の余地はあるようだ
イギリスのガセ情報に頭の血が上がったルーズベルトが仕掛けてきたブラフとすれば、間を置いて交渉するという展開もありえたかもしれない
しかし、それも「外交」という世界の話。現実的に当時の日本がそれに耐えられたかどうか
「外交」もまた血を流さない戦争であり、いろんな意味で余裕のある方が有利ということなのだろう

長くなった。大著なのだ
開戦過程の他にも、真珠湾攻撃の実像、山本五十六の考え、作戦後の日本人の反応など、多岐に渡って触れられ、単純に反戦という視点で語られていないものなので、是非一度読んでいただきたい
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