『知性の限界』 高橋昌一郎

最近になって、『理性の限界』の記事へのアクセスが急増している
巷では、密かに高橋昌一郎ブームが起きているのか?

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)
(2010/04/16)
高橋 昌一郎

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各種科学の専門家たちが知のバトルロワイヤルを繰り広げた『理性の限界』の続編
今回も乱入してくるキャラクターたちは健在で、自分の領域に入るなりドロップキックをかましてくる。それでも前回よりは司会のレフェリングの向上(!)、乱入者の専門と主題とのギャップから、はっきり脇の話と分かるので、比較的読みやすかった
『理性の限界』を経た読者なら、そう混乱はないと思う
構成に関しては、前回ほど奇麗に決まっていない。「言語の限界」「予測の限界」「思考の限界」と三章立てなのだが、一章の中で幾つかのテーマがぶつぎりに語られてしまうのだ
一章に四つの主題が割り振られているので、並列した12の章と思って読んだ方が分かりやすいかもしれない
それも著者のサービス精神のゆえで、経済学、地震予知から認識論までジャンルの幅は広い
ただの知識だけでなく、ウィトゲンシュタイン、ファイヤアーベント、ポパーら、知の巨人たちの生き様、背景にも触れていて、文系人間にも読み飽きない内容だ

比較的まとまっている「言語の限界」の主役は、ウィトゲンシュタイン
前半生の彼は、言語の性質から「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」と結論する。真善美などの抽象的な命題は、不明瞭な言語であるから語れない(語っても仕方がない?)。
よって、すべての哲学的問題は、言語から生じる「疑似問題」に過ぎないというのだ
「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」という結論そのものについては、「私の命題は、それを理解する読者がそれを通り抜け、その上に立ち、それを見下ろす高さに達したとき、最後にはそれが無意味であると悟る」としていて、何やら宗教の経典のようにズバっと完結してしまう
後期の研究も興味深いが、以前の理論を平然とひっくり返す攻撃精神には目を見張ってしまう。これぞ、科学のダイナミズムといえようか
そして、またこれをひっくり返すのが科学なのだ

「予測の限界」では、地震予知や株価の変動など「複雑系」の予測の不可能性から入る
カール・ポパーという偉い人が、「反証できなきゃ、科学じゃない」と基準を作った話が載っていて、科学が分かった気になって来る
「思考の限界」は、ファイヤアーベントによる科学の自己破壊ともとれる主張を紹介する
いわば、既存の方法論ばかりに囚われては、かえって科学の進歩や発見を遅らせるということ。聞いてみれば、意外にまともな意見だった
また、人間が知ることのできる限界を、カントがあらかじめ想定していたという凄い話が載っていた。過去の人ではなく、今でもエライ人だったのだ
とまあ、理解とはいかないものの、前著に比べれば入りやすく頭が「うわらば」となることも少なかった(笑)
奇麗にはまとまっていないが、それはそれで知のバトルロワイヤルらしかった

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