『ねじまき鳥クロニクル』の覚え書き

ねじまき鳥を読み終わった後、村上春樹について何か書いてやろうと思ったが、これがまとまらない
目が季節外れの花粉症(?)にやられて集中力を欠いているのもあるが、いろんなことの基礎学力がなってないのだ
とりあえず、忘れないうちに前回の記事に入れられなかったことを残したおく


1.猫はいったい何だったのか

「僕」とクミコが猫に“ワタヤノボル”と名付けたのは、二人に綿谷ノボルが影を落としていることを暗示している(そのとき「僕」は気付いていない)
クミコが猫の不在に狼狽したのは、彼女が“ワタヤノボル”を兄の代わりとして置くことで安定していたからではないか
猫に“サワラ”と付けてみれば、「僕」から綿谷ノボルの呪縛は解けた


2.綿谷ノボルとクミコの関係

肉体関係の有無は不明だが、近親相姦を思わせる隠微な関係
(「僕」の子かは分からないが)妊娠中絶を決意させるほどの影響力がある
彼の支配下から逃れるため、最終的に彼女は犯罪を犯すことになる


3.綿谷ノボルが空き家にこだわる理由

空き家に住んでいた宮脇一家は、主人が妻と長女を殺し無理心中していた
それが妻と離婚し上の妹を死なせた綿谷ノボルのやってきたことと被ってうつる
彼からすれば、「僕」がそこに住んだことは自分に対する当てつけ、無言の脅迫ととれる


4.権力者としての綿谷ノボル

頭でっかちの割に無思想、レトリックを操るだけで知識人を演じるが、中身は支配欲の塊
牛河の証言から、政治家というより人をモノ(統計)とみる官僚的なセンスの持ち主
綿谷ノボルの女性に対する扱い方は、満州国やシベリアの抑留所の役人と被るものがある

(ただ、湾岸戦争時から出て来たタレント知識人たちのモデルとしては不適当か。メディアに露出する彼らはもっと軽快な存在である)


5.ねじまき鳥の昭和観

江藤淳や邦画が語ってきた歴史観で、女性、あるいは女性性を犠牲にしてきた近代というもの
精神を犯され最後は犯罪者に落ちるクミコに時代のイメージを託し、問題の継続性を訴えている
断絶したかに見える戦前の歴史と今をつなげることが作品のテーマで、間宮中尉などの語った逸話の場面が要所で反復させている(ナツメグの夫と動物園で殺された中国人捕虜の殺され方など)

(ただ大陸の権力構造が今の島国日本に現出するかは微妙で、現実政治への批評性は怪しい)


関連記事 『ねじまき鳥クロニクル』第一部
     『ねじまき鳥クロニクル』第二部
     『ねじまき鳥クロニクル』第三部

『ローマ人の物語』の文庫が最終巻を迎えたので、来月はローマネタ一色で行こうかと思っていたが、こっちのテーマもなかなか深い
とりあえず今はユング心理学の新書を読んでいるが、積まれた本から(!)近現代、全体主義関連を当たってみたいと思う
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