『ローマ人の物語 29 終りの始まり(上)』

年末年始に読んだ分を粛々と


ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫)ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫)
(2007/08)
塩野 七生

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“哲人皇帝”マルクス・アウレリウスの治世前半まで
単行本発行当時の広告の文句は「衰亡史始まる」だった。ギボンがマルクス・アウレリウスの子コモドゥスから描いた衰亡の歴史を、先代の哲人皇帝、先々代のピウス帝から始めるのがナナミン流衰亡史なのだ
(ギボンは書き始めてすぐ、もっと前から振り返るべきと気づいたそうだが)
まず、指摘されるのが、首都ローマから動かないピウス帝の統治スタイルだ。先帝ハドリアヌスは防衛戦の点検で治世の大半を送ったのにも関わらず、ピウスの行動範囲はイタリア半島に留まった
確かにピウス帝の治世は、属領を点検しなくても問題は起こらなかった。が、次の代になった時、蛮族の攻勢にローマ軍は手こずってしまい、蛮族に自信を持たせる結果を招くことになった
また、皇帝が行幸がないため、辺境の軍団とのつながりが持てなくなり、軍人たちのロイヤリティが低下。後には“賢帝”にすら刃向かう軍団が現れる
哲人皇帝の苦難はピウス帝に始まるというわけだ

ピウス帝のもとで帝王学を学んだアウレリウスは当初こそ、そのスタイルをうけつぐが、相次ぐ蛮族の侵攻で徐々に修正。対ゲルマン戦、対パルティア戦と多忙をきわめることになる
“賢帝”“哲人皇帝”という呼称からは安定した治世を想像してしまうが、有名な『自省録』も対ゲルマンの戦場で記された
優等生ぽいのがともにピウスの養子となっていたルキウス・ヴェルスを共同皇帝としたところか。副帝ではなく、対等の皇帝
共和政時代の執政官二人制になぞらえているわけで、元老院受けがいいのも分かる
このルキウスはアホぼんで、特に何をすることもなく死んでしまうが・・・

欧米に人気なのは、カエサルアウグスティヌスの次にマルクス・アウレリウスらしい
不得意な戦争で七転八倒しているのに、同情評が集まるのか。向こうにも“判官贔屓”があるようで


次巻 『ローマ人の物語 30 終りの始まり(中)』
前巻 『ローマ人の物語 27・28 すべての道はローマに通ず』
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