追記『結晶世界』 ~宮台本から

バラードの名を知ったのは、宮台真司『終りなき日常を生きろ』(ちくま文庫)から

「60年代SF」の代表として、『ソラリスの陽のもとに』レムとともに取りあげられている。 そこでは、「50年代SF」(ハインライン、アシモフ、クラーク・・・)から、「60年代SF」(バラード、レム、ディック・・・)へのスタンスの変化に触れられている

そこでは、「日常=既知」/「科学=未知」という「50年代SF」的な図式は、「科学=既知」/「日常=未知」という「60年代SF」的な図式へと、置き換えられている。(p104)



こうした「60年代SF」の代表作が、『結晶世界』を含むバラードの「終末三部作」らしい。手塚が描いた近未来都市のような、「50年代SF」のユートピア観は「60年代SF」において崩されていったのだ。

『結晶世界』では、主人公は水晶化した森を「鏡」として自らの日常を映し出しながら、その日常にとどまろうとした。そこに共通するのは、日常から抜け出すことを拒否することこそが倫理的だと見なす感覚である。「50年代SF」的な科学信仰は、日常に向き合えない弱者たちの非倫理的な逃亡の営みに過ぎない――そういう批評意識が見出せるのである。(p105)


この『終りなき日常を生きろ』は、オウム事件直後に終りなき日常への回帰を説いた本なので、そのあたりは気をつけて読まないといけない。「水晶化=逃亡」として見れば、わかりやすくなるのは確かだが
サンダースはスザンヌを助けようと、水晶の森に入る。日常に連れ戻したかったからか? それとも、サンダースが水晶に惹かれていたのか? または、その両方か・・・
少なくとも小説は、倫理意識より、心の揺れに焦点が合っていた
宮台本では、主人公は日常に踏みとどまるとあるが、僕の読んだところ院長に別れの手紙を書いてもう一度、水晶の森に向かう。水晶化を選んでいるようなのである・・・

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
(1998/03)
宮台 真司

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10’10/27 加筆・修正
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