『陸軍中野学校終戦秘史』 畠山清行

体の調子もだんだん良くなってきた。やっぱり食べ物の影響は大きい
調子の悪い時は、余り頭を使わない『連ザ2』をやっていた
まだまだ見てないエクストラやらステージやらが残っている。ファイナルプラスもほとんど見てない
アーケードのBコースをノーコンでファイナルまで行ったんだが、たまたま羽根を取ってしまってエクストラ仕様に
ドム×2とカガリを倒すと、なんとミーティア×2が登場だ。たまげたなあ
が、キラの方を決死の格闘で倒すと、アスランの方は意外と簡単。射程が長いからか、回避に専念している僚機をロックしてくれたようだ

さて、『秘録・陸軍中野学校』の続編だ

陸軍中野学校 終戦秘史 (新潮文庫)陸軍中野学校 終戦秘史 (新潮文庫)
(2004/05)
畠山 清行

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前巻の『秘録』の方は、戦前の謀略戦総まくりといった内容だったが、本書はほとんど中野学校出身者の証言とその視点から見た終戦直前・直後の物語となっている
本来「中野学校」は平時の情報戦におけるスパイを育成する学校であった。よって中野学校出身者は、軍人であって軍人でないという意識を持っていた
が、昭和18年以降敗色が濃くなるにつれ、中野学校に求められる教育もスパイというよりも密林で敵を攪乱する「ゲリラ戦士」の育成へと方針転換が迫られる
彼らはパプアニューギニアからフィリピン、琉球列島に派遣され、ある者は遊撃戦の指揮、ある者は敵占領後の諜報活動する「残置諜者」として過酷な任務にあたることになる。そして戦争の最終局面では、本土決戦の準備のため日本各所に割り振られた

『終戦秘史』は『秘録』のような武勇伝は鳴りを潜め、終戦間際の壮絶な光景が描かれる
特に波照間島に残置諜者として赴任した山下虎雄の物語は衝撃だった
小学校の教員として赴任した山下は怪しまれつつも島の人間に信用される存在となる
が、ある日軍の命令で近くにある西表島に住民を疎開させるように命じられる。波照間島は自給自足できる環境で水にも事欠かないため、米軍に目をつけられるから、敵に使われる前に焼き払っておけと言うのだ
島に愛着を持ってしまった山下は軍に精一杯の抵抗をする。が、引き延ばすにも限度があった。仕方なく山下は自らの手で疎開の指揮をとることになる。渋る島人に軍刀をちらつかせて・・・
西表島に疎開した波照間島の人たちは島に蔓延するマラリヤに苦しむ。波照間島の環境が良すぎてマラリヤに対する抵抗力が少なかったためだ
そして終戦。結局、米軍が波照間島を占領することはなかった。終戦の詔勅をラジオを聞いた山下は今度は波照間島への帰還を指揮する。当然、田畑を潰してしまったから住人は飢えに苦しむ。山下は蘇鉄の実を集めさせて、なんとか凌いだ。軍から馬と牛を入手し各部落に支給した後、10月に山下は軍命で本土に帰る
その後、しばらくして山下はマラリヤで死んだ人の墓参りに島を訪れたが・・・

・・・島民から、ひどい仕打ちをうけるかもしれない、あるいは殺されるかもしれない、なんて考えながら島を訪れたのだが、殺されるどころか『山下先生が帰って来た。先生だ。先生が帰った』と大歓迎を受けたのは、実に嬉しかった。また、当時、部落々々に残してきた二頭ずつの牛馬が、今では大変な頭数に増えて、各部落の助けになっていると、大いに感謝された。波照間島疎開の命令は、大本営から出たものか、それとも方面軍司令部が出したものか、私も知らないが、国家がこういう犠牲者に適当な補償をしないで、もう戦後ではないなどと、生意気なことは言えないのではないかと私は思う」(山下虎雄軍曹談)(p230~231)


10’8/28 追記
パンダ3さんに指摘してもらったので、山下虎雄についてネットで探ってみた
山下虎雄は本名酒井清といい、wikiには陸軍中野学校・離島残置要員特務兵の陸軍軍曹とある
沖縄タイムズの記事によると、戦後も本名を明かさず謝罪のないことから島民たちの抗議を受けているという
再三の来訪にどういう意図があるかは分からないが、“大歓迎”を受けたというのはまず嘘だろう
戦時中波照間島民を酷使したことなど、ある程度の真実を混ぜているだけに信を置いてしまったのは不覚だった
しかし、自分のことを棚に上げて良く国の責任を問えるものだ。これも中野学校が持っていた側面の一つなのだろう
この本はあくまで中野学校出身者の視点で描かれた事実を載せているということを忘れてはいけないのだ
半可通の本読みというのは目の前に書いていることを信じてしまうので、パンダ3さんのような指摘は本当にありがたい


謀略ネタもあるのだが、余り芳しい結果はない
国民党分断のための汪兆銘工作は有名だが、ドイツの力を英米に向けるための独ソ戦の和平工作ヒトラー脱出計画とか、時代の逆風のなかに潰えたものが多い
意外だったのが、「日本でいちばん長い日」の題材となった、終戦間際のクーデター未遂、「宮城事件」に中野学校出身者が協力していたことだ。玉音放送の朝、爆弾を鞄に詰め込んで放送局ごと爆破するつもりで乗り込むも、ある将校がここを爆破しても別のところで流すことになっているとハッタリをカマして事なきを得たという。とんでもない話だ・・・
また、ある一派は終戦後、米軍が国体護持を守らなかった場合に備えて宮家の身柄を確保する「皇統護持計画」を発案、戦後の安定をもって立ち消えしたなんて話もある
あの風通しのいい中野学校からこのような国粋的な行動は似つかわしくないが、逆に言えば中野学校出身者にして長期の戦時体制の中で醸成された空気に取り込まれてしまったということかもしれない
もっと早く日本は降伏するべきだったと簡単に言う人もいるが、上がそう決めただけで上手くいくほど甘い空気ではなかったことを想像するべきだろう
その一方、外地にいた者は比較的外向的で、現地に馴染みすぎたことから、ベトナム、インドネシアの独立戦争に協力した人も多い。ベトコンの手口も中野の人が教えたとおりだそうで・・・

おそらく連載とリアルタイムだったのだろう、小野田郎の捜索についても大きく紙数が割かれている
小野田少尉の出自と人となり、彼に下された任務、そして彼を捜索する政府への批判
捜索者と捜索される側との意識の落差に、映画の『ランボー』を思い出してしまった
他にも捕虜虐待と戦犯の話など、知らない話がいっぱい載っていた
編者があとがきに書いているように、そのまま史実としては捉えられないが、読んでおいて悪くない本だと思う


著者のあとがきが面白い
元々戦記物を書くキッカケは、内外タイムスがエロだけでは部数が伸びないからと書いてくれと依頼がきたからだとか、『秘録』の方にいろんなネタが詰め込めたのは中野学校出身者がなかなか話をしてくれず、原稿のネタに困ったからだとか(笑)、生々しい裏話が
こんなネタを追いかけなけりゃ、文学賞とって金も女も名声もとぼやきも入って、なかなかヒョウキンな人なのだ
中野関係の工作には皇族関係など発表できない内容の物もあったという。果たしてそれが明かされる日は来るんだろうか

10’5/3 一部修正
10’8/28 追記

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コメント

波照間島民の山下軍曹に対する怒り
山下虎雄のことを、波照間の住民の方は憎んでおられます。1981年には、この『陸軍中野学校』を読まれた島の方は事実とかけ離れた記述に怒り、山下軍曹に対する抗議文も書かれているそうです。山下軍曹の波照間島での非道な行動は、『ハテルマ シキナ』などに詳しいので、機会があれば、ご一読ください。
Re: 波照間島民の山下軍曹に対する怒り
大歓迎されたという談話は、出来すぎな気はしましたが・・・
ただ『陸軍中野学校』で書かれた山下軍曹の行動は、「上の命令」という理由があるにしろ、かなり理不尽なものです
それを越える悪行、恣意的な行為があったということでしょうか?
『ハテルマ シキマ』は一度目を通しておきたいと思います

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