知られざる文豪・幸田露伴は、いかに東京で暮らしたか。作品と今昔の景色でたどる作家の一生
露伴の評伝を期待していたら、いろいろ裏切られた(苦笑)
ベースが露伴中心ではなく、著者のエッセイとなっているのだ
露伴に興味をもったきっかけから、取材の出来事などを事細かく描き、あまりに自分を露出してくるから、「そんなことより、露伴のことを……」をぼやきたくなる
ファンとしての歴も浅いので、作家や歴史関係者から評価の高い歴史小説『運命』を「中国の皇帝の気持ちなんて知らんがな」とバッサリ!
幸田露伴と東京の風物について、丹念に辿っているものの、それ以外の部分にも愛が欲しかった
元が画家さんだけに、絵にならないことには気持ちが入らなかったのだろうか
ラブコメから人間の業まで
幸田露伴の出発点は、逓信省の電信技師として北海道余市に勤務し、そこから東京へ脱走するところ
文学への情熱が止まらず、汽車を乗り継ぎながらも、1000キロを越える道程を経ての強行軍だった
その道中に作った一句「里通しいざ露と寝ん草枕」から、「露伴」の名を取られた
最初に書いた小説『露団々』は、大金持ちの令嬢が花婿探しの広告を出し、世界各国300人の青年たちがその座を争うという、バチェラーのようなラブコメ作品
『風流仏』では、信州で花漬(花の漬物)を売る娘と彫刻師の淡い恋を、『いさなとり』では、過去の不倫が因果応報のように襲いかかる人間の業を描く
欧米伝来の「恋愛」ではなく、日本の風土が産んだ生生しい男女関係を取り上げるのだ
代表作『五重塔』では、独善的ともいえる職人の誇りとそれを支える妻たちを主題に、作家としての地位を確立した
露伴が生きた時代、天王寺の五重塔は江戸っ子にとって仰ぎみる存在で、いかなる嵐にも耐えて震災や戦災すら逃れたが、戦後に心中事件により焼け落ちて、再建はいまだ為されていないそうだ
水の東京、隅田川と生きる
露伴は東京についての随筆や評論を多く残し、特に隅田川との関わりが深い
作詞を頼まれた中学校の校歌でも、「隅田のかわ」が出てきて、趣味の釣りに関するエッセイでも舞台となる
ゴミの流れる川から金属を拾い上げる「ウツチャリ拾い」(今でいう空き缶拾い)、船頭に操船を任せ客が自分で料理を作る釣り人の流儀、怪談の由来となる岩井橋(お岩さん!)と“ヨシグイ”鳥の奇声……、露伴は「水の東京」という有名な東京論を残している
著者も筆が振るっていて、露伴が見た月を探し求めて隅田川を下り、都会のなかでかろうじて残っていた“川の上に見える日の出、月入り”の光景は感動的だ
自身を露出させるところはアレだけど、昔の江戸、東京を思い起こすには悪くない新書でありました
*今、著者の名前を検索すると出てくるのは、同姓同名の息子さん!
著者の実名は松本重彰で、自分の子供に自身の筆名をつけたことになる。息子さんの方は、貧乏にこだわった自称「闘争」(?)を繰り返している活動家らしい