
佐伯祐三は大阪生まれの洋画家。光源寺の次男として生まれ、東京藝術学校(現・東京藝術大学)を経て、パリへ留学するも1928年、30歳で早逝した。そのフランス滞在中に、パリの店、広告、町並みと、流行の最先端を行く都市文化を描きつつ、結核を患った晩年はパリ郊外の長閑な風景画を残した
この展覧会、去年行った岡本太郎展と同じで、許可されたほとんどの絵を撮影できるのだが、気がついたのがしばらくしてから
学生時代の作品をまったく撮りそびれたのであった。撮影禁止の作品の横には、ちゃんとマークが貼られているので注意!
小学生並みの感想(いつもか?)で表現すると、必ず風景のなかに「電柱」があった。風景画を描こうとするときに、排除したい異物にも思えるのだが、作者の年代では「電柱」そのものに文明の利器として、肯定的な意味があったのかもしれない
船の絵でも、帆柱に存在感にあって、垂直にそそり立つものが世界を支えるようなイメージを持った
さて、パリの作品はというと


この通り、電柱がない!
パリはガス灯の伝統が長く、1960年代まで併用されていたようだ。最先端のモードと、歴史ある都市文化がこの街の魅力で、今では電線の地中化も進んでいるとか


輪郭のはっきりしない印象派風のなかで、くっきり浮かぶ店の名前!


ポスターや店名とメニューなど、文字情報がぎっしり。こんな風景画ってある?(笑)


パリ郊外の風景も。左がノートルダム大聖堂、右がリュクサンブール公園。公園にはリュクサンブール宮殿があり、現在はフランス上院の議事堂として使われている
フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねた際に、裸婦像を見せて「このアカデミズムめ!」と激怒され、当時描いていた自画像の顔を塗りつぶし、その裏にノートルダムの夜景を描いている。それも撮っておけば良かった……
2回目の渡仏で、パリ郊外のモラン村へ画家仲間と訪れる


教会の絵が何枚も描かれていて、村の中心であると同時に、実家がお寺ということもあるのだろうか


パリの印象派風の絵と違い、力強くぶっとい輪郭が。うつろう都会とは違う、重厚さを感じたのだろうか
そして、病気が進んだところに訪れた二人のモデルが


左が有名な「郵便配達夫」。その後、狭い村にもかかわらず、姿を見なかったことから、米子夫人も「あの人は神様ではないか」と漏らしたとか
右はロシア亡命貴族の娘をモデルにした「ロシアの少女」
外のショップでは


「郵便配達夫」のおじさんを全面に出したグッズが並んでいたのであった
まさか、自分が遠い未来にこんな扱いをされているとは、思いも寄らないだろう(笑)