まずは大和高田の千本桜へ
経路的には、JR山科駅から京都駅で、そこで近鉄に乗り換えて大和高田駅まで急行で

滋賀もそうだけど、地方都市の駅前はわりと整備されている。空間がぜいたくに使われているので、歩くだけで楽しいのだ
費用対効果は知らんけど
1.高田川の千本桜
駅から高田川へ向かって歩いていくと


早くも“千本桜”の並木に出る。街中に作られた桜並木なので、歩道は片側のみで、反対側は車道になっている
電車で来た人間には少し残念ではあるけれど、ドライブで気軽に花見ができるというメリットもある


高田の「千本桜」は、戦後の新憲法制定に、市制(北葛城郡高田町→大和高田市)が施行された1948年とともに高田川に植えられたもの。敗戦の傷を癒やし、戦後復興のシンボルにとの役目があったのだろう


桜の世界にもリストラ(!)があって、枯れてくると容赦なく接ぎ木が試みられたり、新しい株が植えられる
そんな中でも、左上の桜は、下に曲がって生えたほうが咲き誇り、片側はばっさり切られていた。ぎりぎりで伐採を回避した“崖っぷち桜”には、つい感情移入したくなる
街中ゆえ、川はキレイとも言い難いなのだが、餌をやる人がいるためか、鯉がたくさんいた
2.大中公園
高田川から水路が枝分かれしているところに、「大中公園」がある


この日は花見にちなんだお祭りなのか、露店が軒を連ねて大変な人だかり。公園内は桜より、店が多い印象だった(汗
大中公園が元は何があったかは分からないが、イベントスペースとして浮き舞台が!
源義経の側室・静御前が没したとされる地だから、それにともなう催し物でもあるのだろうか。しかし、流されるBGMは場違いなクラシックなのであった。なんで?
3.長谷寺
まだまだ時間はあるので、お次は長谷寺を。近鉄の大和高田駅に戻り、伊勢方面の電車で長谷寺駅まで


ほとんどの人が車で向かうせいか、駅前は寂しい!!
駅からは階段を下っていって、お寺に行くのに再び登る経路となるので、往復を考えるとけっこう辛い道のりなのである
家の前にある狸はコロナ対策なのか、花粉症なのか


そして、いよいよ「長谷寺」。駅前は寂しくとも、お寺のなかは人で溢れている。それでも清水寺よりはマシ


左が登廊の出発点。右が登廊の終点


桜はしだれ桜が満開。地味にしゃくやくの花も咲いている
「長谷寺」は、天武天皇の代、686年に道明上人が創建し、聖武天皇の勅命で727年に得道上人が御本尊の十一面観世音菩薩(重要文化財)を祀ったとされる(727年の勅命は正史になく、真偽不明のよう)
ただ徳道上人は当時の観音信仰に大きな影響力を持った高僧で、かの「西国三十三所巡り」の観音霊場を最初に唱えたと言われ、「長谷詣(はせもうで)」が全国に定着するに至る。『源氏物語』『枕草子』などの古典文学にも登場する「花の御寺」として、古くから親しまれてきたのだ

舞台からの見下ろしは絶景なり!!!
十一面観世音菩薩は公開されていて、無料(そもそも拝観料500円いるけど)で外から拝むことはできるが、特別拝観料800円で身近まで近づける
入るときには、結縁(帰依)の証として五色線を左手に巻き、お香の灰を手に塗り込む。そして、菩薩の脚に紙越しに触れて、各々がお願いをする
外から見たときにも巨大なのだけど、真下から見上げた迫力は実物大ロボットのごとしだ。もちろん、威厳は比較できないものである
十一面観音は千手観音が千の手で様々な人に救いの手を差し伸べるように、11の顔をもって様々な姿で人々の前に現れ、様々な功徳を施す。周囲には11の相に、従える神将が描かれて、天井や壁にも鬼を退ける光景が描かれていた
この御本尊は何度も焼失しているらしく、現在は8代目で室町後期の1538年に作られたものだ
*鎌倉の長谷寺にも十一面観音は祀られていて、奈良の観音と同じ楠(くすのき)の木から作られたものが、祈祷の後に海へ流され(なんで流したし)、鎌倉へ漂着したとされる。そちらの実際の創建については分からないが、鎌倉のほうが「新長谷寺」と認識されたことは間違いない

五重塔は見かけは歴史があるような感じだが、実は昭和の建築!!
これはこれで、古代の技術を残してきた宮大工の凄さを感じる
さすがに花見もこれが最後。階段の上り下りでくたくたになったけど、行った甲斐はあった。舞台の迫力は清水寺に劣らないし、歴史的由緒もある割に観光客は少ない。じっくり見て回れる、穴場の名刹といえよう
暖かくなってきたし、花粉症が止んだら、他府県へも巡っていきたい