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『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960』 池上彰 佐藤優

戦後左翼の総決算



なぜ日本の左翼は衰退したのか? 終戦直後からの日本共産党と社会党の動きを追う

本屋に3部作のように並んでいたので、衝動買いしてしまった
池上彰佐藤優という有名な論客の対談形式であり、時事ネタに絡んでいく両者へのイメージから広く浅くなりはしないかと思われたが、いい意味で裏切られた
“外務省のラスプーチン”と呼ばれた佐藤優氏は、実は高校から大学時代に社会党の青年部“日本社会主義青年同盟”(社青同)へ所属し、左翼の活動を見知っていたのだ
対談のテーマは戦後の民主化で興隆した日本共産党日本社会党で、自民党の長期政権が固まるまでの1960年までを中心に扱う
本書は対談の体だが、7割を佐藤氏がしゃべり、池上氏がそれを補足する形で進む。そもそも佐藤氏が持ち込んだ企画で、格差の問題から『人新世の「資本論」』などを中心にマルクスが再注目されているとして、左翼の復権を予想。今の共産主義が日本共産党の解釈を中心に流布していて、若者たちが取り込まれることを警戒してのことだ
社会主義は良くも悪くも様々な広がりを見せて、百家争鳴の時代があったのだ


1.日本共産党の台頭と混乱

戦前に思想犯として逮捕されていた日本共産党のメンバーは、連合軍の進駐を受けて解放される。徳田球一を書記長にして活動を再開するが、ソ連共産党の指導を受ける立場にも関わらず、「アメリカを中心とする連合軍を解放軍として歓迎する」と表明したのが、蹉跌の第一歩
当初はソ連も連合国であり、米ソの対立が予想できなかったためだが、1947年2.1ゼネラルストライキが計画された際に、共産党が中心に労働組合を牛耳るにも関わらず、“解放軍”の方針としてGHQの指示にしたがって中止してしまった
そのために、労働者への信用は地に落ち、代わって日本社会党が台頭する

そして、共産党転落で決定的だったのが朝鮮戦争を巡る内紛と武力闘争。旧軍の復活を恐れて再軍備反対と平和革命を唱えた日本共産党だったが、ソ連のコミンフォルムは戦争に備えてその平和革命路線を批判指導部の徳田球一や野坂参三らは“所感”を発表して反論したため「所感派」と呼ばれたのに対して、非主流派の宮本顕治や志賀義雄らはスターリンや毛沢東の批判を受け入れて「国際派」と呼ばれて、激しく対立する
1950年6月、GHQは占領軍と共産党員が人民広場(皇居前)で激しく衝突する事件を受けて、共産党の国会議員などの公職追放・政治活動の禁止(レッドパージ)を行い、逮捕状の出た徳田球一、野坂参三たちは中共に亡命した
結局、1951年に武力闘争路線が採択されたが、数々の事件は国民の不信を招き、1955年に武装闘争の放棄を決議した。この武力闘争を受けて政府は破壊活動防止法(破防法)の制定公安調査庁が立ち上げられている
ちなみに共産党の武力闘争方針は農村から都市を包囲するという、毛沢東の影響が濃い。後の連合赤軍の自滅も、これに続いたように思える


2.左翼政党の中心、日本社会党

一方の日本社会党は、戦前の無産党に、労農派の共産主義者など非共産党系の社会主義が集結する政党として始まった
1947年に戦後初の左翼政権、片山連立内閣を実現するが、いろんな派を引き入れたゆえの内紛から、1年で瓦解する
その社会党のなかで一致したのは、「全面講和、中立堅持、軍事基地反対」「再軍備反対」を加えた「平和四原則」だったが、右派は朝鮮戦争を共産主義側が仕掛けたものとして、分裂する
日本社会党の特徴は、労働組合出身の国会議員社会主義協会の頭脳が理論を支えるという構造で、大学教授ばりの教養を持つ協会員は主義から労働者の地位に甘んじたという
青年部の党員に社会主義に対する幅広い書籍を読ませており、共産党の若者と論争しても負けたことがなかったという
そんな懐の広い社会党のもとには、マルクス・レーニン主義ではない、ローザ・ルクセンブルグに準拠するという新しい社会主義の模索が行われ、暴力的な新左翼へもつながってしまうのだった
しかし、その命脈が立たれるきっかけになったのは、ソ連の崩壊。社会民主主義を標榜しつつ、ソ連の資金が流れ込んでおり、東側の一党独裁政権とも友党関係だったのが明るみに。さらには、積年の敵だった自民党を組んで、首相まで出したことで長年の支持者はドッチラケになってしまったという
とはいえ、人士は民主党、今の立憲民主党になだれ込んで、母屋を乗っ取った感もあるが


3.共産党の欺瞞体質

とにかく佐藤氏は、日本共産党に手厳しい
宮本顕治が戦前の官憲に激しい拷問を受けて耐えたのは、リンチ事件の殺人罪で立件されていて、口を開けば死刑の危険があったからとか、「どんなものにもいいものと悪いものがある」という共産党的弁証法、西側の核はダメ、東側の核は平和目的とするなどを欺瞞と断定、「革命が平和的か暴力的かは“敵の出方”による」という「敵の出方」理論も暴力革命を完全に放棄していないということ。昔の論文や発言を後で見れないようにする秘密主義も、党と指導者の無謬性を守りたいからに他ならない
次巻のこうした批判の真意は明かされていて、別に今の日本共産党が暴力革命を準備していると言いたいわけではなく、過去を取り繕う欺瞞体質を批判しているのだ
まあ、ここまで容赦なく言ってしまえば、赤旗に呼ばれないのも当然のことだろう(笑)


もっともその上で、共産党や社会党を引っ張った指導者の有能さを認めていたりもする。なにぶん、まだ現代史の範囲であり、何が真実かは立場によってだいぶ変わってくるし、佐藤氏の話がどこまで裏のとれたものかは分からない。その点、留保が必要だろう
共産党に入党した讀売新聞社主筆・渡邉恒雄がマルキシズムに「倫理の欠如」を指摘したり、網野史観で有名な歴史家・網野善彦共産党の武力闘争(山村工作隊)に従事したとか、宮本顕治創価学会の池田大作と和解する対談で、宮本が箱の上で演説していた際に唯一立ち止まって聞いたのが池田だったとか、面白エピソードも盛り込まれたりと最初から最後まで、読ませる対談だった


*23’4/7 加筆修正

次巻 『激動 日本左翼史』

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