1.坂本叡山口駅
大津市の坂本へは、京阪電鉄で行く。浜大津駅で石山坂本線に乗り替え、「坂本叡山口駅」へ
元は「坂本駅」だったのが、観光誘致のために2018年に改名したようで、京都の叡山電鉄の「八瀬比叡山口駅」に対応してだそうだ

見た目もだいぶ変わって、なんだか現代美術みたいになっている

今回は画像の山の中腹にある八王子山頂の“奥宮”=「三宮」(みぐう)を目指す
2.鳥居

7年前はガラケーで、ぼんやり画質になってしまったが、今回はこのとおり。通信携帯もここまで進歩しているのだ


猿の神社だけど、干支にちなんだ、うさぎの立て札がかかっている
しかし、鳥居の横に建てられた竹には、ちゃんと猿のぬいぐるみがくくりつけられているのだった
参考記事 2016初詣は日吉大社
3.西本宮
東本宮の写真はうっかり撮り忘れていたので、前回同様に西本宮のみ(汗


日吉大社は仏教が優勢になった中世に延暦寺の影響下に入るが、明治維新の神仏分離令の際には、吉田神社の神官たちとともに延暦寺へ独立を要求し、仏像や経典を焼くなどの暴挙に出て、廃仏毀釈運動の魁となったとか
その煽りで、東宮に祀られた大己貴神(大物主神)と西宮に祀られた大山咋神を入れ替えて、西宮を官幣大社にして東宮を格下にする措置がとられたが、東宮も官幣大社になったことで祭神も元に戻る。時代によって、東西どっちが上か下か変遷が激しく、ややこしい

コロナにつき、しめ縄は柱にくくられ、行列を恐れてか、西宮では本来の位置で拝むこともできなかった
ちなみに東宮では、しめ縄はくくられていたが、普通に拝むことはできた
4.神輿庫


「神輿庫」には、祭りで使われた江戸時代の神輿が飾られていた
平安時代に延暦寺の僧兵が強訴のさいに使っていた神輿は、こうした日吉大社のもの。「山王権現」の権威をバックにしていたのだ
5.三宮
うっかり、参道を撮るのを忘れていた。ほんとうにもうグダグダである(汗
それほどの高さはないものの、ジグザグの山道が続き、気分だけは山伏。階段のある場所は、ひとつひとつの段が高いので、管理人のような胴長短足や小柄な方はきつかったりする。なるべく、上がりやすい場所を選びませう

東宮のほうが歴史は古く、大山咋神が本来の山の祭神だったが、天智天皇のときに大津京鎮護の祭神として、奈良から大物主神が持ち込まれ西宮が作られたようだ
ちなみに、「日吉」(ひよし)は、元は“ひえ”と読み、比叡山も元は「日枝の山」(ひえのやま)と呼ばれていた
都の鬼門を守る鎮護の地位をもつ、延暦寺が勢威が増してくると、神仏習合の動きから、唐の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君をモデルに、「山王権現」の信仰が高まった。山の神の信仰を仏教を上位としつつ、結びつけるものである
ちなみに「山王権現」の信仰=「山王神道」には、家康の腹心で天台宗の僧でもあった南光坊天海が推進していて、家康の死後に「東照大権現」として祀り、神格化させている。権現は大日如来であり、天照大神でもあるとさえいったとか
とはいえ、江戸幕府のなかで神道の地位は高くなく、東照大権現の権威はともかく、信仰そのものが支配的になることはなかったようだ

三宮から見た琵琶湖。曇り空がアレだけど、絶景なり
御神体はさすがに割愛するが、どでかい岩なのであった。境内や山道にも大きい岩が転がっていて、名前のついた霊石も多い
延暦寺のお膝元ながら、山岳信仰が濃厚な聖域なのである

帰りは、「本家鶴喜そば」で舌鼓。だしが違う! 旨い!
申年のときと比べると、コロナもあって神社の人はずいぶん少なかったが、蕎麦屋で待っている人数は変わらなかった。さすがは江戸時代から続く名店である
総括すると、本来の干支と違う場所へ行くことで、快適にお参りすることができた。それを割り引いても、コロナ前より明らかに人が少ないので、今後どこまで観光客が戻ってくるかは気になるところだ
お次は、岡崎神社へ行く予定だけど、どれぐらい混んでいることやら