
こちらは浄土真宗のお墓がある大谷本廟。親鸞上人の墓所ともなっている場所にもライトアップがされていた

清水寺までの坂道、「五条坂」からもライトアップされた三重塔と放たれたレーザービームが見える


左が「仁王門」 右は「西門」

そういえば、近くに住んでいるせいか、「清水寺」のことをちゃんと記事にしていなかった
その創建は778年、興福寺の僧・賢心(後の延鎮)が、音羽山の”金色の水流”を見つけ、そこで行叡居士(ぎょうえいこじ)という老いた修行者に出会う。彼に託された霊木から千手観音を彫り、それを本尊としたのが始まり
その2年後、初代征夷大将軍となる坂上田村麻呂が妻・高子の病気のために鹿の生き血を求めて狩りに来た際、賢心に不殺生を説かれ、自身の屋敷を本堂として寄進した。そして、蝦夷征伐を命じられた際には、平定参拝を行ったという
798年、その田村麻呂の後援もあって、大伽藍をもつにいたる

舞台から見下ろした「音羽の滝」
清水寺の山号は音羽山で、音羽山清水寺が正式名称。山科には東のほうにも”音羽山”があり、比叡山の西の麓にも”音羽谷”の地名が残る。奈良にも音羽山(観音寺)があり、そこが発祥の気もする


「阿弥陀堂」(左)と「奥の院」(右)
開山の賢心(延鎮)が興福寺の僧であったことから、中世から奈良の興福寺に属し、南都北嶺の争いの前線として、1165年には比叡山の僧兵による焼き討ちを受けた
応仁の乱に巻き込まれ、再び焼失したところ、勧進聖とよばれた時宗の願阿弥が再建事業に乗り出し、念仏の本願成就の地と見なされるようになった
豊臣秀吉に130石の寺領を安堵され、江戸幕府もそれを引き継ぎ徳川家光により寄進、再建が果たされたそうだ


参道から見た夜景や三重塔の塔が美しい。しかし、逆光で画質が……まだスマホを使いこなせておりませぬ


下から見上げた舞台


池に映る紅葉。枯れ切っているのが悲しいが、それでも幻想的
保津峡にいったあと、雨の日を挟んだことでかなり葉の落ちた木が多かった。気温もすっかり冬モードで、紅葉狩りとしてはシーズンを逃した感は強い
とはいえ、いついけば良かったかというと、きれいに染まった時期というのもなかった気がするので、今年は不作だったというのが本当のところだと思う
といっても、保津峡も清水寺も元の景観がガチでいいので、行った甲斐はあった