寺に奉公へ出されていた“猿”は、高野聖の一団と出会う。商人としての立身をかけて、彼らを追って寺を出たものの、聖たちは三河を通った際に撲殺されてしまう。そこから宛もなく流浪の日々を送った末、織田家の足軽組頭・浅野又右衛門を頼り、若き当主・織田信長の近くに仕えることに。信長は桶狭間の戦いに勝利した後、美濃攻略へ向かい、“猿”は土木技術と調略の才を開花させていく
司馬遼太郎による秀吉の“半生”を描いた『太閤記』
司馬は生まれが大阪だからだろうか、江戸時代とそれを築いた徳川家康に辛く、晩節を汚した豊臣秀吉には甘い。本作では秀吉に甘い所以がストレートに表現されている
対比されるのが、今は同じ愛知県である尾張と三河の地域性の違いで、尾張が豊かな穀倉地帯でかつ、河川が入り乱れる地勢から商業が発達。住む人間も自然と商業の感覚が身について、信長や秀吉といった飛躍した知性を生み出す
対して、三河は篤実な農業国であり、徳川家康ら三河武士の性格そのもので、堅実ながら自己主張が薄い
もし秀吉の天下がなく、そのまま江戸時代になったらその後の日本はどうなっていたか。今の経済大国はなかったのではないか、と言いたげだ
そして晩年の秀吉を描きたくなかったからか、本作は小牧・長久手の戦いの後に、家康を上洛させ天下人の地位を固めた瞬間に幕を閉じる
墨俣一夜城など今となっては、史実ではないとされる話も肯定的に取り上げられている。今浜を「長浜」と改名したように、“大坂”という地名を作ったとか、ノリで書いたようなところもある(蓮如上人の歌が有名なのだが)
初出が1968年であり、今の研究とかなり違ってくるのは致し方ないことだろう
そんな本作の見どころは、偉人たちへの人物評。同じ尾張に生まれた織田信長と豊臣秀吉は、商業感覚から来る軽快さで変化を拒まない。明朗な一方で猜疑心も強い信長に、秀吉は同じレベルの人間と気づかせないように働き、他の同僚にも爪を隠していく
信長と秀吉の手法で大きく違うのは、信長が織田家の領土を膨らませる形で天下を統一しようとしたのに対し、秀吉はより現実路線として大大名の割拠をある程度許し、港や金山など経済の要所を握ることで覇権を維持しようとした(今では、信長も同じような構想を持っていたともされる)
もう一人、近い人間として描かれるのが、腹心となる黒田官兵衛である。先輩軍師である竹中半兵衛が合戦の芸術家とされるのに対し、秀吉同様に調略に長じてキリスト教を通じて旧来の価値観に囚われず、秀吉の発想についてこれる
しかし、秀吉が信長や官兵衛と違うのは、幼少期から底辺の人間や世間を見て歩き、人間の本性を骨の髄から知っていること。野に咲くタンポポを食べて暮らしたゼロ体験は、戦国時代の大名たちが持ち合わせていないものだった
目的のために土下座も辞さない秀吉に、最大の敵・徳川家康も最後には転がされてしまうのだ
秀吉自身もひとつ間違えれば大悪人と自覚しており、ゼロ体験で身につけた酷薄な知恵を明朗さで隠しきったのが前半生であり、小説が徳川家康を上洛させたところでピリオドを打つのも、それから後に隠しきれなくなったからだろう
解説には、司馬が「外国人」に読んでもらうつもりで書くというエピソードが取り上げられて、歴史を知らない人間にも入れるよう心がけていたとか。その対比に引き出されているのが、先日読んだ井上靖の『後白河院』で、作家性の違いが興味深かった
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