源頼朝に「日本国第一の大天狗」といわしめた後白河法皇とは、どのような御仁だったのか。4人の証言から、保元・平治の乱、鹿ヶ谷の陰謀、源平合戦と、武士と朝廷を巡る幾多の政争を潜り抜けてきた希代の政治家の真実に迫る
戦国時代に比べると、平安末期や鎌倉時代を扱った歴史小説は意外なほど少なく、本作も貴重な一作
井上靖というと、映画で有名な『敦煌』をはじめ、『天平の甍』とか中国物、西域物の印象が強いのだけど、実際には様々な時代の作品を遺している
本作は4人の日記=語りによって、謎多き後白河法皇(後白河院)の実像に迫ろうという作品だ。その手法は管理人に『壬生義士伝』を思い出させたが、こちらの初出が1972年と当然古く、本人が語らない分、やはり多くの謎を残す。その答えは読者に委ねられるという点で、よりミステリアスな人物に見えてくるのだ
とはいえ、この作品の問題は4人の語り手がマニアック過ぎることだろう(苦笑)。各章にどの人物の日記で、どのような立ち位置の人であったか、説明してくれないので、その証言がどういう角度のものかも把握できないのだ
よって、正攻法はまず解説を読んで、証言者の名を知り、wikiで調べるという手順となる(爆)
最初の証言者は平信範。摂関家の近衛家の家司として家政を預かる身で、藤原忠道(作中の法性院)に仕え、保元の乱と平治の乱を体験する
2人目は、後白河院の寵愛を受けた建春門院(平滋子)に仕えた建春門院中納言。建春門院は後白河院と平清盛の間を取り持つ存在だったが、彼女と平重盛の死により、反平家の重しが取れ、鹿ヶ谷の陰謀へつながっていく
3人目は後白河院の側近だった吉田経房。清盛の死から源氏の蜂起、木曽義仲の上洛と滅亡、平家の滅亡と義経の没落と、もっとも激動の日々を送る。もともと彼は清盛に引き立てられた実務官僚で、その死後あっさりと源頼朝へ通じたそうだが、その身の軽さは後白河院と行動をともにしたともいえそうだ
4人目は後白河院に遠ざけられていた九条兼実。本来は関白についてもおかしくない身分ながら、20数年間待ち続けたという。そのせいで、源頼朝の側につき、義経が没落した際に念願の摂政と藤原の氏長者となる
しかし、兼実はこれこそ、後白河院が義経が失敗したときのプランBであると悟り、その遠謀に気づいたとき日記の筆を折るのだ
4人に共通するのは、実際に史料性のある‟日記”を遺していることだ
平信範は『兵範記』、建春門院中納言は『たまきはる』、吉田経房は『吉記』、九条兼実は『玉葉』で、女性の中納言を除いた3人は、子孫に儀礼の前例や教訓をのこす「日記の家」としての役目を果たしていたのだ
特に『玉葉』はなぜか、多くの人間の目に触れることとなり、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』にも影響を与えたとか
実際の日記をどこまで参照したのかは分からないが、散逸したところもあるようだし、「日記の家」という史実を生かした構成が上手い!
とはいえ、その値打ちが分かるのは、けっこう調べた後だったり(笑)
「商品」として考えると不親切すぎるし、今だとこういう形で出版できないことだろう。作家の我流が許される時代の芸術的な作品なのである
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