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『燃えよ剣』 司馬遼太郎

3回目の再読。でも忘れてることがちらほら


 


武蔵国石田村の百姓に生まれた土方歳三は、天然理心流の近藤勇とともに京へ上る。歳三は京都の治安を任された新選組を、主従関係に頼らない、厳しい隊規に課す近代的組織へ作り上げる。しかし時代の波は容赦なく、鳥羽伏見の戦いから賊軍として追われる立場となるが、今度は洋式軍隊を率い、関東、東北、蝦夷地と戦い続ける

最近映画化された、新選組副長・土方歳三の生涯を追った歴史小説
初出が1962年11月からの連載で、同時期に『竜馬がゆく』も連載されていた。時代に乗って駆け上がる最中に横死した坂本龍馬に対して、近代の流儀に理解を示しながら燃え尽きる戦い続けた歳三。同じ駆け抜けるような短い生涯でも、そのあり様は対照的だ
盟友である作家・陳舜臣の解説によると、さらに中央公論では『新選組血風録』が連載されていて、本人は「男の典型をひとつずつ書いていきたい。そういう動機で私は小説書きになったような気がする」と言っていたとか
俗に明治維新正義の司馬史観というが、本作のように敗者側を主役にした作品も多く、後年のエッセイ群(!)とは違う視点で展望されていたのだ

映画化がきっかけで読み直したので、どうしても比較してしまう
前半のライバルとして現れる七里研之助は、小説だと京で攘夷浪士として歳三を狙いつつ、最後は伊東甲子太郎の依頼で襲撃し返り討ちに遭う。映画だと、池田屋事件で負傷したものの、官軍として長州の奇兵隊に紛れ込み、五稜郭の戦いで土方歳三の死を見届ける
もっとも芹沢鴨をはじめ、いろいろインパクトの大きいキャラクターが多かったせせいか、映画の七里はずいぶん脇に追いやられていた。気づかなかった人もいたのではないだろうか(苦笑)
小説だと、剣術ひとつでのしあがる歳三の鏡像のような存在。お互いに喧嘩屋の延長で京まで上ってきたが、違いは恋患いを筋の悪い俳句にしてしまう愛敬だろうか

前半のヒロインともいえる、憧れの女だった佐絵映画だと出てこない。六社明神の宮司の娘として生まれた彼女は京都の九条家に仕えるが、攘夷浪士と交流するうちに活動家として政争に入り込んでいく。その変貌に歳三を愕然とさせる
対してお雪は江戸の香りを京へ持ち込んでくれる真ヒロイン。鳥羽伏見の戦い後に大阪で、五稜郭の決戦の前に箱館へ現れて、映画でもほぼ忠実にその関係が表現されていた
そして、ラストの単騎での斬りこみは、映画でもそのまま。完全に忘却していたから、映画をなんであんなベタなことを思ったら原作再現だったのだ(苦笑)

新選組という法規を中心にすえる、近代的組織をつくった歳三は、司馬小説の主人公にふさわしい合理主義者。しかし、新選組は600年前の南朝正統論に始まる水戸学、尊王思想の伝統に敗北する
喧嘩の職人である歳三には理解しがたいことだが、この書物のなかに生きてきた思想により徳川慶喜は自滅し、近藤勇も納得して死んでいった。本作は合理主義者を主役としつつ、最終的に不合理が勝利してしまった
司馬が近代日本敗北の原因とした「朱子学イデオロギー」との対峙が、このときから始まっていたのだ


関連記事 【映画】『燃えよ剣』
     『竜馬がゆく』 第1巻

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