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『街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか』 司馬遼太郎

読んでない小説もあるし、司馬遼太郎完走はまだまだ先




久しぶりにシリーズを読んだ
第7巻は地域がバラバラで、統一感がない(苦笑)。あえて言うと近畿から中国・四国地方にかけての西日本で、解説の方がまとめるには‟名利を求めない職人”がテーマとも
初出は1973年から1975年


<甲賀と伊賀のみち>

藤堂高虎が天守を築いた上野城から、聖武天皇ゆかりの紫香楽宮跡をたどる
甲賀、伊賀といえば、忍者なのだが、エピソードのなかで目立つのは、装画を担当する須田剋太のヨーロッパ訪問(笑)
ツアーの付き添いで連れていかれたのだが、時差ボケから30時間不眠状態となり、脱水状態となったという。スペインで注射による水分補給を受けるという、古式ゆかしい治療法を処方されたそうだ

上野城では、西国大名が京都を制圧するさいに食い止める要地として、藤堂高虎が任されながら、天守閣を作った際に疑われてはいけないとすぐ取り壊した話が紹介される
甲賀では、足利義政の子・義尚近江守護・六角高頼を攻めた際、追いつめられた高頼を甲賀53人衆が支援。ゲリラ戦で将軍義尚を陣没させてしまう。戦国期には多羅尾氏が甲賀衆を束ねて、織田家に属することとなり、討伐を招いた伊賀と明暗を分けた
聖武天皇が築いた紫香楽宮へは、大仏建立のごり押しが反発を招いたのか、謎の山火事が生じている。この事件も甲賀忍者の魁と想像する


<大和・壺阪みち>

奈良県橿原市の今井から壺阪山、高取城を目指す
中世の奈良は興福寺を中心とする寺社勢力の牙城で、今井では「今井千軒」と呼ばれるほど商業都市として繁栄し、楽市楽座的な自由経済が沸き起こったのではと仮説。‟千軒”の名が残る地域は、どれも商人たちでにぎわった場所だった
堺うほどではないが、今井は堀に囲まれた環濠集落で、今なお中世の雰囲気を保っているようである

大和高取城は、徳川譜代の植村氏が預かった。たった2万5千石の身上なのに、最大級の山城が課せられた
その理由は上野城と同様に、上方が西国大名に制圧されたときのため。植村家自身は家康の祖父・清康の代以前から仕えた古い譜代であり、植村家政の代に、本田正純の宇都宮騒動があった。家光の日光参拝に付き添っていた家政が寝苦しく感じて、家光の側に備えていたことから、大名へ取り立てられた
さて、高取城の天険が生きたのが、幕末の天誅組の変。狭い小道に大坂城攻めで使用された大砲が担ぎ出されて、撃退に成功している


<明石海峡と淡路みち>

兵庫県の明石から海峡を渡って、淡路島を巡る
この章の主役は、漁師! 瀬戸内海、それも淡路は豊富な魚介類に恵まれ、素潜りで食べられる漁師たちがいた。取材されたときには、乱獲を避けるために、アクアラングの使用が禁じられていた
ただし、沿岸で獲れてしまうため、大掛かりな漁船は生まれず、外洋を舞台とする紀州水軍に政治的には制圧されてしまう
それでも古代からの漁法は続き、都人へ魚類を供給する役目を担った。農耕民のような束縛をうけず、自らの腕で稼いでいく‟海の民”の気風を今に伝えている

近世に淡路を治めることになったのが、豊臣恩顧の大名である蜂須賀家。阿波一国を領していた蜂須賀家政は、大坂の陣の功績で淡路一国をも与えられた
本拠地の徳島城とともに、淡路にも洲本城を擁していた。一国一城の建て前から粗末なものだったが、実は山上に山城を隠し持っており、藩主・家政はもし政変があったさいは上方に出兵する野心も持っていたという
そんな淡路の自慢のひとつが、蜂須賀家が参勤交代の際につかったと言われる松並木の街道。しかし、取材された1970年代に松くい虫の被害が拡大し、1980年代には最後の一本が伐採されてしまったとか
もっとも、マツは本来、養分の少ない瘦せ地に生える樹木であり、農業の発達によって地質が変わっていったことも一因ようだ


<砂鉄のみち>

この章は島根→鳥取→岡山とまたぐ長旅。古代の日朝関係を追う、金達寿ら在日朝鮮人の研究者、作家たちをともなうちょっとした団体旅行である
製鉄の技術では、古代日本は後進国中国は秦漢時代に大規模な生産を行っており、古代朝鮮でも「辰韓」が鉄器を作っていた
その日本に治金の技術をもたらしたのは、朝鮮からの渡来人と考えられ、出雲(現・島根)の地から中国山脈の山奥へ入っていったという
古代では鉱山から鉄鉱石を掘る技術はないので、砂鉄を木炭か薪の上で燃やし続け、自然の風で行ったと考えられる。送風装置のフイゴはその後も原始的な段階にとどまり、画期的な天秤フイゴが発明されたのは、江戸も元禄、1691年。西洋や中国では水車を利用されたそうだが、日本ではなぜか鍛冶には使われなかったらしい

司馬の興味は、そんな遅れた日本が、なぜ中世に刀剣などを輸出できるようになったかに向けられる
仮説として立てられるのが、日本の湿潤な気候鉄を溶かす燃料には、大量の木炭を必要とし、乾燥した地域ではあっという間に禿山が出来上がってしまう
古代中国においては、植樹する山を神域に設定し、そこに立ち入る者を直ちに斬るという峻烈な政策が提案されたりしていた
そこへ行くと、日本は‟瑞穂の国”。木材資源に悩まされることなく、生産し続けることができたのだ
ヨーロッパ地中海の覇権を握ったヴェネチアが木材不足で海軍を維持できなくなった話をどこかで聞いたこともある。自然資源の存在が国の将来を左右するのは、今も昔も変わらない


本巻で異様に力が入っていたのが、最後の「砂鉄のみち」
古代から中世、近世のタタラ製鉄について、専門書のように調べられていて、読み応えがあった。参照された本についてもあたってみたいが、さすがに手に入れるのは大変かな


次巻 『街道をゆく 8 熊野・古座街道、種子島みち ほか』
前巻 『街道をゆく 6 沖縄・先島へのみち』

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