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『ポル・ポト<革命>史』 山田寛

現在のカンボジア政府にも元ポル・ポト派の人間が…



なぜポル・ポト政権は歴史に残る大虐殺を起こしたのか。リアルタイムで取材し続けた記者がその悲劇の実像に迫る

ポル・ポト政権(「民主カンボジア」)は、1975年から1979年までカンボジアを統治し、政策的な大量虐殺で人口の33%を死に追いやったといわれる
本書ではポル・ポトをはじめとする指導者層の来歴に、第二次大戦後のカンボジアの情勢に触れ、苛烈な内戦を経て過激化していく過程を描いている
革命の指導者が労働者というより、ブルジョアに近いというのはよくある話だが、ポル・ポトの場合はそれどころか王族に近い身分! 姉が国王の夫人の一人となり、兄も王家に関わるという名家に生まれていた
最高幹部もほぼそれに列する家柄であり、貧農から這い上がったメンバーは登りつめずに粛清される側に回っている
そして、ポル・ポトたちはカンボジアの最高学府を卒業し、フランス留学、元教員とインテリの代表格だった。この肉体労働と無縁の身分が、農業の実態とかけ離れた政策につながったと考えられる


1.独裁者シアヌーク

驚かされたのは、ポル・ポト政権後に民主化のシンボルに祭り上げられていたシアヌーク国王が50年代まで独裁者として君臨していたこと
シアヌークは第二次大戦中に日本軍がフランスを追い出すと「独立宣言」を行い、日本の敗戦後には「フランス連合」内の独立を認められる
その際に、限定的な主権のもと、憲法制定、議会政治が許可され、王族の一人が民族独立、民主主義を掲げる「民主党」を結成した
しかし、1952年6月シアヌークが内閣を罷免して民主党を解散させ、全権力を握るクーデターを起こす。53年にフランスから完全独立を勝ち取ると、翼賛組織「人民社会主義共同体(サンクム)」を立ち上げて、議会の全議席を独占した
著者はこのシアヌーク翼賛体制が、民主主義の芽を摘み、ポル・ポト政権へのレールを敷いたとする

シアヌークはベトナム戦争が始まると、共産陣営について北ベトナムの共産軍の国内駐留・移動を認め、中国と友好不可侵条約を結び、アメリカと断交にまで及んだ
やがて共産軍の駐留が負担になってくると、アメリカに寝返り、国内の共産軍への爆撃を認めるようになる。この節操の無さに左右の政治勢力から信用を失い、CIAによるロン・ノル首相のクーデターを招くことになる
外遊中のシアヌークは文化大革命中の中国へ逃れ、ロン・ノル政権打倒のために統一戦線の傀儡となり、カンボジアはポル・ポト派(クメール・ルージュ)の手に落ちることとなる


2.数百万人の強制移住と新階級社会

ポル・ポト政権の地獄は、1975年1月のプノンペン陥落から始まった
数百万人の市民をすぐさま地方へ強制移住させ、病人や老人、子供にも容赦しなかった。移動中に死ぬ者も多く、軍人、役人はそれ以前に殺された
この政策には毛沢東主義の影響から都市生活を憎んだこともさることながら、ポル・ポト派が根拠地とした「解放区」に住んでいた農民を「基幹人民」とし、強制移住された人々を「新人民」と呼んで最下層とした。その間に「準完全市民」を置く三つの階層の階級社会では、「基幹人民」が「新人民」を使い捨ての奴隷として扱った
また、文革の紅衛兵にならって、「資本主義にまみれていない子供」を重用し、少年兵はおろか、こども看守による刑務所、こども医者による原始医療の導入は、さらに膨大な被害者を生むこととなった


3.諸外国のポル・ポト支援

そんなポル・ポト政権は統一したベトナムが介入するや、あっけなく崩壊するものの、タイ国境を中心にゲリラ勢力としてしぶとく生き残る
そうできたのが、大虐殺を知りつつも諸外国が後援したから。隣国のタイも、ポル・ポトを支援しベトナムへ懲罰の戦争まで起こした中国も、中国へ接近したアメリカベトナムの伸張を喜ばなかったからだ
そうした各国の相克が解けるのは80年代末で、ポル・ポトは裁かれることなく枕の上で死に、一部の幹部がかなり高齢になってから終身刑の判決を受けたにとどまるのだった
終章では、ポル・ポトたちが国民の「家族」関係を崩壊させようとした一方、自分の親戚に粛清が及ぼうとすると最大限介入する‟矛盾”を指摘。また幹部たちの葬式が「宗教」を根絶しようとしながら仏式だったことも、革命の敗北、無意味さの証とする


*23’4/13 加筆修正

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