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『「彼女たち」の連合赤軍』 大塚英志

フェミニストじゃないけど、その代行をした評論



連合赤軍事件の原因は、「かわいい」の価値観を巡るものだった!? 高度成長後の消費文化と女性たちを中心に論じた評論集

だいぶ前に読んだけど、さいきん連合赤軍関連に触ったので
単行本では1996年までの論考をまとめられていて、文庫版では2000年に逮捕された重信房子論が加えられていた
冒頭に連合赤軍の副委員長だった永田洋子が、獄中で少女漫画のような「乙女ちっく」な絵を描いていたことに注目。彼女と委員長の森恒夫に「総括」を迫られた女性のメンバーたちが、少女まんがに代表される「かわいい」消費文化の洗礼を受けていて、その払拭を迫られていたとする
少女まんがに「内面」をもたらした‟24年組”(萩尾望都、竹宮恵子ら)は、連合赤軍事件の同時代に活躍していて、著者は浅間山荘事件がテレビ中継されているころに読みふけっていたという
本書では戦前から準備され高度成長期以降に花開いた「かわいい」消費文化と、それに引き続く80年代のフェミニズムを展望し、その可能性と限界を探っていく

戦後の女性やフェミニズムを「かわいい」少女文化に代表させるのには、笙野頼子から批判がある


1.黙殺された連合赤軍の女性問題

いくつか連合赤軍の本や漫画を読んでいたので、本書がどういう位置のものか理解できるようになった。これは80年代を経て振り返ったジェンダー論なのだ
著者はフェミニストではないと断りを入れるが、上野千鶴子が読んで涙したという江藤淳の『成熟と喪失』をたぶんに引用し、当時は黙殺されていた連合赤軍の女性たちの問題に深く切り込んだことに意義があったのだ
左翼運動にのめりこんだ女性たちが、男女平等だけを理由に武器をとるわけもなく、旧態依然たる大学や社会問題があった。その解決にまだ価値を失ってなかった共産主義が魅力的に説かれた背景があるわけで、それを踏まえた上で読まないと見落とすことも多いだろう
森恒夫が女性を「母胎」としてのみ評価し、「総括」するメンバーから赤ん坊を取り出そうと言い出したことから、「早すぎた‟おたく”」というのは深読み過ぎるか(‟おたく”の定義にもよるだろうけど)
関係者の証言からは、森恒夫は体育会系気質であり、単に女性の体の仕組みを分かっていなかったのではと思う。連合赤軍の男たちは恋愛経験に乏しく、かつ恋愛そのものをプチブル的と忌避していたのではないだろうか(組織的な「婚姻関係」はあるが)
ともあれ、永田洋子は裁判長のみならず、わりあい同情的な若松孝二の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』ですら悪女扱いされており、そうした神話を打ち消して実像に迫ったことは評価すべきだ


2.『ねじまき鳥クロノクル』と歴史との対峙

オウムの女性信者の経歴からは、80年代のフェミニズムが女性の自己実現、自己表現を掲げながら、サービス産業の下請けにとどめたのを指摘。日本国憲法の女性の権利条項に、ユダヤ系オーストリア人のベアテ・シロタ・ゴードンに着目するなど、タイトルどおり「彼女たち」の問題には鋭い
その一方で、森恒夫から上祐史浩、宮崎勤への流れを、サブカルチャーに「母胎」のように包まれて生きる‟おたく”で括るのは大雑把。評論というより、著者本人の問題に絡んだ作品として読むべきだろう

単行本の終章など要所で語られるのが、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』。著者が村上春樹に辛口な理由が分かった。期待に対する裏返しだったのだ
『ねじまき鳥クロニクル』はスティーヴン・キングばりのサスペンスとして、一人称「ぼく」の主人公が‟闇の力”ともいうべき「歴史」と対峙する。敵役の綿矢ノボルの権力は長い年月を経て噴き出した、血塗られた「歴史」を源泉としている
「ぼく」と綿矢ノボルとの決着は、想像の世界で終わり、現実の世界では失踪した妻クミコがつける。この不完全決着を著者は、安易に<正史>を語らない態度として評価していた。語ってしまえば、綿矢ノボル(保守系の論客を想定?)と同質のものに陥ってしまう


3.日本に正史はなかったのか?

もっとも、戦後の日本社会に<正史>がないには同意できなかった(というか、理解できなかった)
GHQの統治下で戦前の社会を帝国主義、軍国主義の悪と見なして、平和憲法を契機に変わるという史観日教組が力を持った時代、管理人の世代には支配的だった。それに司馬史観によって是正され、明治までの近代化は良くて日露戦争以降はダメという認識が共有されていたと思う

*実はGHQ史観は、司馬史観に近かったという話が! → 『日本解体 「真相箱」に見るアメリカの洗脳工作』
 戦後の史観は左翼が支配的だった教育界で作られたもののようだ

朝ドラでの戦争が終わったときの解放感、戦国時代に戦のない世を目指すといいだす大河ドラマを見れば、今なお根強いと言わざる得ない。自民党の総理が憲法改正を唱えても、よほどの危機がなければ世論は動かないだろう
むしろ、そうした<正史>の枠に収まろうとしたのが『ねじまき鳥クロニクル』の態度であって、隠された「歴史」に潜む危うい魅力に触らなかったのだ。やはり、村上春樹は戦後民主主義者の典型といえる
どちらかというと、「歴史」の一部から<偽史>が作られていく所以は、<正史>のカウンターとして働いたマルクス主義史観が崩れていったから。<正史>とそれが作る体制からはみ出る人にとって、<偽史>でも作らないとやっていけないのだろう
「歴史」は解釈であって、考証と時代によって変わっていくものなのだろうけど、<偽史>がまんま流布しないように、喧々諤々と議論されふるい落としてべきなのだ


と、長文を書いてしまったように、再読してもなんだかんだ啓蒙されました


*23’4/5 加筆修正

関連記事 【DVD】『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
     『ねじまき鳥クロノクル』 第一部



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