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『レーニン 革命ロシアの光と影』

セ・リーグのペナントは早々、終戦か
原巨人の強さというか、編成の的確さとスピード感で、他の追随を許さなかった。もうちょっと、手を打とうよ、他球団
まあ、阪神は開幕巨人戦三連敗で、CSがあっても感じになりましたが(苦笑)




慣れないテーマで読むのに時間がかかってしまった……
本書は2004年に開催された「レーニン没後80年記念・十一月シンポジウム」に参加した研究者の論考をまとめたもの
なぜ、読む気になったかというと『Workers & Resources: Soviet Republic』という、ソビエト版シムシティともいうべき都市建設SLGの動画を観ていて、やたらレーニン像が建てられていたから(笑)
積み読のなかに隠れていたのだが、こういう機会にならないと読むこともないと取り出してみたのだ
タイトルには「光と影」とあるが、最初のはしがきにあるようにほぼ「影」ばかりの内容である(爆
スターリンの大粛清が目立ちすぎて、レーニンの行動・政策は革命の混乱期であったからと免罪される傾があったのだが、ソ連崩壊から情報公開が進んだこともあって、その実態が明るみになったのだ
本書ではロシア革命以外にも、レーニンとオーストリア社会主義の論争とか、「アジア的生産様式」の論争とか、単なる歴史ファンにも読解しにくい内容もあったりするが、ソ連の始まりに何が起こっていたのか、その本質はなんなのかを明かしてくれる論考集なのである


1.労働者無き革命と農民敵視


第1章ではレーニンの農民政策について、第2章では意に添わぬ階級を対象にした収奪者の収奪について、取り上げられている
レーニンの起こした10月革命の特徴として労農同盟」の神話がある。社会主義革命を起こそうにも、ロシアの80%以上が農民で、革命の主体となるはずの労働者が少数のための方便なのだが、実際は労働者階級(プロレタリアート)の圧倒的優越
農民は労働者に指導される立場であり、労働者のいないロシアではレーニンの党派であるボリシェヴィキがその代表となる
支配の及ばない農村では、農民が勝手に行っていた土地の接収を「土地の再分配」として容認したが、体制が整うに及んで都市の食糧問題を解決するために、党の武装組織である赤衛隊が徴発を開始し、それによる農村の飢饉も放置した

レーニンにとって、農民は教会関係者やブルジョアと同様に、土地を所有する革命の敵であり、農場は国有で労働者が耕すべき場所であるべきだった。ソ連のソフホーズ(国有農場)は、工場の発想で運営され「穀物工場」と評された
しかし、農業は農業の専門家でなければ運営できるものではなく、穀物工場の非効率は現場の実体を知らないボリシェヴィキ指導者の無知、無能さを示すものだった
この農民蔑視の思想は後のスターリンの農業集団化や、他の共産諸国の農業政策の失敗へつながっていくこととなる


2.乗らない労働者とプロレタリアート独裁

第6章「マルクス主義思想史の中のレーニン」(太田仁樹)では、マルクス主義そのものが批判されている
マルクスとエンゲルスにとって、共産主義が実現した社会では、「諸個人の利害対立そのものが消滅している。そのため、利害を調整する国家機関は存在する必要もなく、「国家は死滅」する
ホッブスやロックの近代政治思想は、対立する個人がいかに共存するか、共存を可能にする制度設計を追求して、現代の民主主義や市民社会、法治主義が生まれたが、マルクスたちにこうした問題意識は皆無。個人の対立の消滅など、工業化が進むごとに複雑な利害対立が生まれる実体社会から離れたユートピアだった

いわば、近代社会からかけ離れた「無国家・無法共同体」思想といえた
マルクスたちは近代市民社会の担い手である中間層を口汚く罵り、既存の体制から外れたプロレタリアートこそが、革命の主体となると、自らをはじめとする左翼活動家の特権性を裏付けた
が、実際の労働者たちは体制外に逃れてプロレタリアートにはならず、資本主義を補強する国民として、近代社会の主役となっていった

というわけで、マルクスの構想は敗北したように思われたが、既存の国家を解体してプロレタリアートのみで権力を打ち立てる「プロレタリアート独裁」の構想は、法によるチェックを受けない「無国家・無法共同体」として、ロシア革命へ受け継がれていく
現実の市民社会へ対応しようと、ドイツやオーストリアではマルクス主義政党が結成され、既存の社会を内部からの改良を目指すカール・カウツキーに、プロレタリアート独裁の幻想を一蹴したエドアルト・ベルンシュタインが登場し、武力革命路線は東欧出身のローザ・ルクセンブルクらに限られるようになった


3.ニヒリズムの帝国

さて、そこでレーニンの位置づけとなるが、現実の労働者が革命の担い手であるプロレタリアートになりえないことで、ベルンシュタインと一致していた。違いはレーニンが現場の労働者とプロレタリアートを分離したことで、自ら左翼活動家を「革命プロレタリアート」として労働者を指導し、革命意識を注入すればいいとした
いわば、革命を起こす労働者がいないなら、強制的に作ればいいじゃないという話である。ソ連労働者自身に革命を起こす意識はもたないと見切って建設された、ニヒリズムの帝国なのだ
国民国家の精神と制度が整えられた西欧では、そんなご無体は通らないが、多民族の帝国だったロシアでは近代の国民統合に失敗し、帝政崩壊後の無政府状態に革命党による情報操作や動員がしやすい状況だった
無政府状態はマルクス主義の「無国家・無法共同体」とはまり、ボリシェヴィキは法治主義の欠落した権力を振るい続けることとなる
直線的に共産主義のユートピアに走る国家は存在しなくなったが、昔ながらの革命党が居座る国には、法治主義を備えない国家体制が残っている。今なお、マルクス・レーニン主義の残滓が影響を残しているのである


*23’4/12 加筆修正


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