
何かの規制に引っかからないか心配だけど、見えてないよね(苦笑)

場所は京都国立近代美術館。これは入り口にある記念撮影用のものだ
藤田嗣治は1886年生まれの西洋画家で、波乱万丈の経歴の持ち主。1913年に渡仏し、パリのモンパルナスに居を構えたのだが、そこには都市開発が進んでおらず家賃が安いことから多くの画家が住んでいた
そのメンバーは、モディリアーニ、シャガール、ピカソ、キスリングという錚々たるもので、後世に「エコール・ド・パリ」と呼ばれた
展示されている作品を見ると、渡仏して当初は世界大戦直後だからか、女性の目に陰影があってホラー漫画かと思わせるほど、影を匂わせる作風
しかし、大戦から立ち直った黄金の1920年代からは、白肌でふくよかな裸婦像を次々と書きあげていく。打って変わってバブリーなのである。実際、藤田は「エコール・ド・パリ」の中でも売りに売れたようで、代表的作家と見なされた
その後、男女関係の変転から南米へ行き、1933年に日本へと変える。南米での作品は、再び貧しい庶民を描くものだ
帰った日本ではすぐに日中戦争がはじまって戦時体制に入り、藤田も戦争画を書くようになる。太平洋戦争が始まるとその名声と父が軍医なのもあってか、陸軍美術協会理事長に就任。1943年にアッツ島玉砕を聞いた際には、自ら志願して壮大な大作を書きあげた
戦後はそれを戦争協力者として糾弾されたが、戦犯とは見なされず、1949年にはアメリカへと逃れる。有名な『カフェ』の絵(美術館の入り口にあったレプリカ)はそのときに書かれたものだ
1950年にフランスに舞い戻り、1955年にフランス国籍を取得。1959年には、妻の君代ともにカソリックの洗礼を受けた
戦後のフランスでの藤田は忘れられた存在だったが、旺盛に製作を続け、多くの宗教画に礼拝堂そのものを設計し、さらには緻密な礼拝堂のジオラマを遺している
売れたのは戦間期のパリだけど、藤田嗣治はそれぞれの時代で面白い作品を残していった
裸婦像のみならず、オカッパ頭の自画像に、ユーモラスな少女に、随所に現れる猫!
ひと目、フランスどっぷりの作風に見えて、今の日本のサブカルにも通じるような題材が盛り込まれている。宗教画にしてもどこかたおやかさを感じさせて、和洋いいところどりした独特の作風なのだ
とにかく気に入ったので、お高い画録も買ってしまいましたがな。もう最終日なのでお薦めといってもアレながら、どこかで展示があった時に覗かれてはいかがだろうか
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DVD本のほうが安いんだ……
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