『戦国夜話』 本郷和人

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戦国夜話 (新潮新書)
戦国夜話 (新潮新書)
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本郷 和人
新潮社
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歴史の通説の裏には、何が隠されているのか。戦国時代を中心に、ヒーロー、ヒロインの実像を暴く
元が週刊新潮に連載していたコラムで、原題は「戦国武将のROE」(!)。本来は武将たちの通信簿をつけるつもりで始まったのだろうけど、かなりフリーダムに蘊蓄と推理が語られている
ひとつのテーマとなっているのは、週刊誌連載らしく虚像の破壊!
細川ガラシャの他殺説(部下に殺させるのはキリスト教では自殺も同様)を皮切りに、前田家のまつ賢婦人説に疑問を投げかけ、女性の役割を重視するフェミニズム的な史論に対しては徳川家の、女性の家柄にこだわらない男系重視の価値観をぶつけていく
週刊誌の読者を意識した、かなりくだけた文章とネタの振り方で、72の考察もすらりと読めてしまう

細川ガラシャの他殺説はさもありなん、という話ではあるのだが、まつの方こと、芳春院賢婦人説の否定は威力がある
まつの方は、花見の席などにおいて女性で6番目の席次を誇るほど、秀吉や寧々の信頼が厚かった。そして、利家が秀頼の後見役をしたように、前田家が利家没後も後見役を引き継ぐとみなされていた
賢婦人説では、家康の圧力に好戦的な後継者・利長をいさめる形で、自ら人質として江戸に出向することになっている
しかし、関ヶ原での前田家の動向には不思議なことがある
前田家は東軍として二万の大軍を発して、大聖寺城を落とした後は前進せずに金沢に取って返して、関ヶ原には参加しなかった
にもかかわらず、家康は利長の功績をたたえて大聖寺城と丹羽長重の小松城といった西加賀などを加増して、100万石の大名を認めたのだ
引き返した理由には、前田家中には親豊臣派が根強く、それを見越した北陸の大名たちに西軍へ参加するものが多かったせい。こうした情勢で、もし利長が親豊臣派ならば、そのまま西軍についてもおかしくなかった
芳春院を人質に出したのは、親豊臣派のシンボルを追い出して、利長が自ら大転換の陣頭に立つためであり、この決断に家康は厚く遇したのが著者の論
ただ、これで芳春院が現実主義者として行動した可能性を否定しきれるものではない。利家の死後、まず御家の存続を第一に考えても不思議ではないのだ

細川家、前田家、上杉家がよく取り上げられているが、何気にマイナー武将の人生も深く語られる
その一人が本多政重。彼は本多正信の次男でありながら、刀傷沙汰で出奔し、最初は大谷吉継、次に宇喜多秀家に仕えて、関ヶ原の戦いではなんと宇喜多勢として参加した。正信の子という格と武将としての実力から、二万石の厚遇を受けている
敗戦後も特にお咎めはなく、宇喜多家の縁戚であった前田家に仕えたが、旧主の秀家が八丈島に流されると、遠慮してか再び離れて、次は上杉家へ行く
上杉家の直江兼続は関ヶ原後に、徳川との関係修復を急いでおり、実子を差し置いて政重に直江家の家督を継がせることで本多正信・正純父子とのパイプを築く
しかし、その7年後に上杉家を離れて、前田家に出戻って3万石の家老となる。その際に、上杉・直江家中の者たちが多数召し抱えることになり、4分の1に所領が減った上杉家の口減らしに貢献した
こういう半生から、司馬小説では徳川のスパイとして描かれていたが、それだと前面に出過ぎて命がいくつあっても足りない。いざという時に御家を生き残らせるパイプ役として雇われて、見事期待に応え続けていたのだろう
そんな味のある小咄がそろった、歴史オタには損のない本書である
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