『戦場の精神史 武士道という幻影』 佐伯真一

今回のサッカー日本代表は、年齢うんぬんはさておいても、ディフェンダーに目新しい人材ががが
長谷部の次の人もいないし


戦場の精神史  ~武士道という幻影 (NHK出版)
佐伯 真一
NHK出版
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日本人の精神を代表する「武士道」は、本当にフェア・プレイを志しているのか? 日本人が戦いだした古代日本から、その実態を考察する
野球やサッカーで選手を「サムライ」と喩えるように、世間では武士の理想である「武士道」が‟卑怯”を嫌い‟名誉”を重んじるスポーツマンシップに近いものとして理解されている。本書はそうした誤解を晴らし、各時代に武士に何が求められたかを求めて、現在に伝わる「武士道」がなぜ歪められたかを明らかにするものだ
帯には「サムライは嘘つきだ。」とあったが、作者は別に歴史上の武士たちを貶めたいわけではない
鎌倉から戦国の武士たち、江戸に官僚化した侍も、時代の要請に基づいて精進していたのであって、新渡戸稲造などによる近代の「武士道」とは断絶があるという話なのだ

武士はどうあるべきか。それが社会的に要請されるようになったのは、後代になってからだ
朝廷による東北の蝦夷討伐においては、相手が言葉の通わない‟異民族”として言葉巧みにした、だまし討ちは問題にならず、その子女を犯して殺すことも罪にも倫理にも問われない
平安後期の関東武士の間で、ようやく淡いながらも合戦のルール(というか流儀)が誕生し、軍使の安全確保、子女の保護、合戦の日時指定などが現れる。しかし、この時点でも内輪同士の「私戦」はともかく、勅命が絡む「公戦」においては、そうした流儀は無視されていく
鎌倉武士の一騎打ちの神話も、首級を巡っての組み合いに端を発しており、実際には自身の郎党を巻き込んだ集団戦だった
戦国時代までの「武士道」とは、主君と味方を裏切らない忠誠心に尽きるのであって、最上義光が病気を装って見舞いに来た怨敵を殺傷する話が美談(!)となるぐらい、だまし討ちに遭うやつが悪い」とする常在戦場の心得なのだ

なぜ「だまし討ち」上等と謀略を重視する「武士道」が、クリーンなイメージを持つようになったのか
ひとつは江戸時代における儒教の影響である。江戸の武士に絶大な影響を与えた兵学者・山鹿素行は、北条氏長や小幡景憲の戦国兵法を学びつつも、儒教の価値観から武士のあるべき姿を規定する
戦が役目の武士は平和の時代には、無駄飯食らいになってしまう。そこで素行は、武士に「士」、中国の士大夫のような「忠・信・義」を守って社会の秩序を守る指導的な役割を求めたのだ
そして、近代になって今でいう「武士道」という言葉が一般に流布する。新渡戸稲造が『武士道』を唱えた動機は、留学先で日本人の宗教教育を聞かれて答えられず、「そんなことでは道徳はどうやって教えるのか」と詰問されたからだ。新渡戸は日本の歴史を深く知らなかったが、西洋の「騎士道」に対照できるものとして「武士道」を拾い上げた
サムライ=フェアプレイのイメージが固まった所以は、「騎士道」を意識した「武士道」にあるようだ
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