【NHKプレミアム 英雄たちの選択】『家康、生涯最悪の決断 ~信康事件の真相』を見て

NHKプレミアムの『英雄たちの選択』で、家康による信康切腹事件が取り上げられていた
番組では、信長に迫られた苦渋の決断という俗説を一蹴し、岡崎衆と浜松衆の対立、家康と信康の父子関係の問題として論じられていた。俗説はまったく相手にされていなかったのである
『女城主直虎』でどうだったか、今となってはもう忘れてしまったのだけど(結局、ちゃんと見てないのだ)、家康と築山殿がベビーフェイスであった以上、俗説がとられていたであろう。大河ドラマは所詮、バラエティで、啓蒙などはまったく考えていないか、NHK
信康事件が徳川家のお家騒動であるということが、歴史学の世界では当たり前のことになっていたのだ

岡崎衆を任された信康は、とうぜん徳川家の後継者の位置にあり、あるゲストは家康が「信長中心の天下平定が進み、徳川家が三河と遠江の二国で安定する」と見込んだからだと推測していた
が、実際には信長は本願寺を中心とする反織田勢力との戦いや、荒木村重や松永久秀といった武将の反乱で、四方に敵を抱えて続けた
三河に押し込められた状態の岡崎衆は、家康に近い浜松衆より恩賞が預かれない窓際であり、思春期の信康も織田家の元での平和にフラストレーションがたまっていた
天正7年(1579年)、信康は家康に織田家から武田家への乗り換えを進言したとされ、これを契機に家康は信康を監禁して、築山殿や信康家臣の処断、そして切腹事件へと進んでいく

はたして、家康は織田をとるべきだったか、信康に従っておくべきだったか
ここでホストの歴史学者・磯田道史をはじめ、四人中三人がなんと、「信康に従って、武田家につくべきだった」をえらんだ(爆)
天正7年の時点では、織田家はまだ本願寺と石山合戦の最中。対する武田勝頼は、長篠の戦いに敗北しつつも、上杉家の内紛である御館の乱から信濃北部を獲得し、上野へは真田昌幸が快進撃を続けていて、瞬間風速的には最大の領土を築いてたのだ
もし、織田の母国ともいえる尾張を徳川が突く形になれば、信長もかなり危うい状況に陥っていたであろうという見立てである
この武田勝頼の再評価が、管理人的には最大のサプライズだろうか
信長切腹事件の影に見えるのは、信玄伝来の武田家の諜報力天正2年には岡崎町奉行の大岡(大賀)弥四郎による内応事件が起こったように、岡崎衆の不満を巧みに家康への反感へ育てた。信康の家康への進言は、半ばクーデターに近いものがあったのだろう
当時の戦国大名は20代で家督を譲るケースが珍しくなく(信長の子、信忠も21歳で家督を継いでいる)、信康の不満も分からなくもないとする意見が多かった
後年、家康も「最初は武田家について、信長を困らせていたほうがあとで大事にされただろう」とこぼしていたそうだ

歴史はあるべき方向(?)に動かなかったが、この家康の決断が武田家の伸張に釘を刺す
武田家との徹底抗戦を選択したことで北条家との関係改善が進み、本願寺と和睦した信長ともに三方向からの武田征伐が実現。武田家最大の領土を広げたはずの、勝頼のしぼみ方はまさに天国と地獄で、これもまた何冊か追ってみたいテーマである


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