1595年、朝鮮の役が終わらぬうちに豊臣政権に激震が走る。秀吉(=滝藤賢一)が甥の秀次を謀反の罪で粛清したのだ。石田三成(=岡田准一)は三条河原において、連座した親族の処刑を執行していたが、一族に仕えていた忍びの娘・初芽(=有村架純)が暴れて騒動になる。石田屋敷に連れ帰った三成へ初芽は、短刀を首にあてるが、三成の愚直な性格にほれ込み「犬」として仕えることとなる。戦乱の空気が高まるなか、自らの半分の知行で島左近(=平岳大)を召し抱えて備えるが……
司馬遼太郎の歴史小説『関ケ原』の映画化である
かつて7時間の正月大河ドラマとなったほどの濃い題材であり、それが映画では二時間半ほどとなっている。原作どおり石田三成を主人公としつつも、カットが細かく切られ過ぎて、特に序盤は忙しい内容となっていた
それゆえ関ケ原前後の史実を知らないと理解しにくいかもしれない。尺の都合でシーンがカットされているのではなく、限られた時間に情報を詰めるために役者が早台詞を強いられていて、その映像や演技の質を減殺しているのが少し残念だった
が、今のNHK大河ドラマでは失われた重厚な空気に、多くのエキストラが動員された大合戦シーンは映画でしか見られない迫力があり、得難いものである
原作も西軍側に立って、徳川家康(=役所広司)と江戸幕府の政治をボロカスと毀誉褒貶がはっきりしていたが、基調としては「政治の世界に正義などというはっきりしたものはない」という大人の良識があった
映画でも融通の利かない三成を島左近がたしなめる場面はなんどもあったが、視聴者に政治の現実を突きつけるところはなく、「これが義だ」といって三成は死んでいく
三成の「義」は、自分を引き立ててくれた豊臣秀吉の遺児を守り天下人の地位を継がせることであり、豊臣家に対する御家意識である。「大一大万大吉」の精神は、まともな為政者なら持っている特別なものではないだろう
小早川秀秋(=東出昌大)が泣いて謝る「義」が視聴者にピンとこず、三成の死を「太閤殿下への良き手向けとなった」と官兵衛が総括した原作には達していないのだ
ともあれ繰り返しになるが、時代劇ファンをくすぐる重厚なドラマと大規模な合戦シーンは秀逸で、金を払って損はない大作映画である
原作小説 『関ヶ原』 上巻