『ハックルベリー・フィンは、いま』 亀井俊介

80年代の映画も見直さねば




新大陸を開拓するところから始まったアメリカ人の理想とは何なのか。現代において、それはどう現れているのか。今なお続けられる「生の実験」を追いかける
本書はアメリカ文学・比較文化論を専門とする東大教授が1980年代に発表した論考をまとめたもの。『地獄の黙示録』『愛と追憶の日々』の大作映画から、80年代に復刻した『スーパーマン』『ターザン』『キング・コング』などのヒーロー物に、『ハックルベリー・フィンの冒険』に始まるアメリカ文学を渉猟して、現代のアメリカ社会の状況に建国以来変わらない理想の追究を見出していく
ヨーロッパから「自由」を求めて渡ってきた移民者にとって、新大陸は「荒野」そのものだった。移民者がそこで開拓して築くのは、本来逃れるべきヨーロッパを模した「文明」であり、ふたたびそこから「荒野」へ飛び出す運動が起こる。著者いわく、この「文明」の建設と「荒野」への旅との振り子運動にアメリカ人の理想の動きがある
そうした「荒野」へ旅に出て「文明」の町と往還を繰り返す、マーク・トゥエインの小説におけるハックルベリーこそが、アメリカ人の理想像なのだ
アメリカ人の離婚率が高いのは、移動の多い社会で「恋愛」への重要性が大きいからだとか、40年近く経ても色褪せないアメリカ文化論である

驚かされるのは、人民寺院事件の解釈だろう
1978年にガイアナで集団自殺した人民寺院は、カルトの代表例といわれるが、極端な部分だけを見てしまってはアメリカ社会の分析を誤まるというのだ
新大陸に「新しいエデン」を見て海を渡ったメイフラワー号の人々「荒野」だったユタ州を開拓したモルモン教徒も、当時の常識からはかけ離れた戒律を持ち、外部の人間からは狂信的な情熱で偉業を成し遂げた
アメリカには数千のカルト組織があるとされ、人民寺院のジム・ジョーンズもメソジストの牧師としてスタートを切った。著者は人民寺院の問題を語るときに、「彼らはファナティックだった」で済ませようとするアメリカでの論調を批判し、いわばアメリカで繰り返されてきた伝統的な運動の失敗例として捉えるべきとする

著者が人民寺院から連想するのは、『地獄の黙示録』のカーツ大佐とその王国である。カーツ大佐は最初、現地の人間を民兵に組織する任務を負っていたが、ヴェトナム戦争という狂気のど真ん中にあって、軍を離れて戦争から独立した王国を築く
狂気の戦争を続ける体制に従って、カーツ大佐を殺すことは果たして正義なのか? 映画では、やはり近い時期に虐殺事件を起こしていたチャールズ・マンソンが持ち出されてカーツ大佐と比較させている(人民寺院事件は、映画製作後)
そして、その『地獄の黙示録』の原典とされるのが、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』だ。この小説ではアフリカが舞台となり、狂った駐在員クルツが王国を築いている。ただし、コンラッドはイギリス人なので、主人公にクルツをヨーロッパ社会に連れ戻すことで解決しようとする
しかし、ヨーロッパ社会から飛び出たアメリカ人に、戻るべき大地はない。果敢に「荒野」に挑まざる得ない
こうした例はフロンティアを失ったアメリカ人の袋小路のように思えるが、著者はありがちな「病めるアメリカ論」はとらない「荒野」に向けて新しいチャレンジをせざる得ない環境こそが、アメリカの強みでもあるのだ
本書の論文が出されたときには、ロナルド・レーガンが大統領選で地すべり的勝利を収めていた。得票数では負けていたとはいえ、トランプ政権の成立は「荒野」への冒険なのかもしれない


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