『徳川家康』 上巻 山本七平

けっこうガチな分析


徳川家康(上) (ちくま文庫)
山本 七平
筑摩書房
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江戸250年の泰平を築いた徳川家康とは、どういう人物だったのか? 日本人論で有名な山本七平が、戦国を終わらせた巨人に挑む
徳川家康江戸時代には「神君」と崇められた一方で、当時から「古狸」の評判も高かった。それをイザヤ・ベンダサンこと、山本七平が史料から追いかける。武田信玄の本も出してたりと、この人は戦国にも造詣が深い
まず最初に持ち出されるのが、“スーパーじいちゃん”としての先駆者「毛利元就である。数十年の月日をかけて中国から九州にまたがる大毛利を築いた彼を、著者は「不倒翁」と称え、武略においては信長、謀略においては家康を凌ぐ存在とさえ言う
家康は元就の影響を受けたとするものの(根拠はよく分からない…)、二段三段の凄まじい謀計をしかけた元就に比べると、事案の解決には三河の一向一揆など正面からの対決で制するものが多い
家康の本質は優れた武人なのであって、彼の保守性が戦国に堅実な秩序を生み出す一方で、その堅苦しさから嫌われる側面があった。声望はあるが、人望のあるタイプではなかったというのだ

家康の保守性を決定づけたのが、今川氏での人質生活だとする
「人質生活=みじめ」ではないとする著者の指摘は目から鱗。松平家では父・広忠からして今川で養われて家を継いだ前例があるのであって、戦乱で荒れる三河にいるよりも恵まれた状況にあったとする
実際、今川義元の師である太原雪斎の薫陶を受けて、将来の領主になるための高い教育を受けている
その今川家では、鎌倉以来の『貞永式目』を発展させた分国法『今川仮名目録が成立していて、家の相続を長子をもって原則とするなど近世的な法体系が整備されていた
努力しなくても長子が家を継げる相続法は、今川の武士団の弱体化を招いてしまうが、家康に法治の大切さを植えつけたとする

家康は長い人生において、自分より強者に逆らっていない
秀吉に関東移封を命じられたときも、進んで江戸へ移動し秀吉をかえって唖然とさせている。著者は、関東が北条によって制度が統一されている領土であり、旧武田の甲斐・信濃よりは治めやすいという計算があったとしている
とはいえ、命がけで広めた領国をとられるのは辛過ぎるわけで、屈辱を耐える強い意志をもった現実主義者なのだ
秀吉死後にいよいよ天下取りとなるが、関ヶ原の分析が面白い。西軍の敗戦の原因は三成に誰も従わない「指揮官不在」なことともに、上杉によって家康が東上できないと思い込んでいた点にあるとする
西軍のキーマンとして三成は限定的であり、安国寺恵瓊が毛利輝元を口説き落としたことで関ヶ原が天下分け目の戦いになった。家康視点からは、恵瓊こそが首謀者であり容赦なく処分している

毛利輝元が関ヶ原に総大将として出ていたらどうなったか、あるいは関ヶ原後に秀頼を擁して大坂城に立て篭もったらどうなったか、という著者の提示するIFは微妙な采配で歴史が動いたことを証明している
しかし、輝元は祖父・元就とはかけ離れた凡将であり、毛利家は領土のほとんどを剥奪され、吉川広家に約束された周防、長門の二国の大名になってしまうのであった
上巻では関ヶ原後の毛利家の始末まで。下巻は、島津家と朝鮮との国交回復から大坂の陣が取り上げられる


次巻 『徳川家康』 下巻
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