【京都人による京都観光】下鴨神社・南禅寺金地院

実家には大晦日に帰って、今日帰還
母方の祖父母んちにも寄ったけど、けっこう暇だったのでスマフォ片手にあちこち回ってみた


1.下鴨神社

河合橋

出町柳から河合橋を渡って、下鴨神社(正式名:賀茂御祖神社)へ。酉年にちなんで初詣はここだ

糺すの森

人ごみを避けて、少し違うルートで本殿を目指す。電柱があるものの、森々とした神域の雰囲気が落ち着く

下鴨神社入り口

鳥居の前には、本殿に入るための行列ができていた。神社の関係者が「列を乱すと、運がみすみす落ちていくよ」と諭していたが、あまりに長すぎるので、どこから始まっているのか分からず混乱していた
脇の入り口からは、簡単に入れて行列も境内で一時解消。本殿の前で再び、行列が生まれていたのであった

舞殿

舞殿にある超どでか絵駒。本殿本体はご利益もあるので、割愛させてもらおう

スマフォのカメラ、安物のデジカメよりも遙に高性能なのは嬉しいけど、性能が良すぎてサイズがでかく、ブログに上げにくいのが難点か。わざと、画質下げればいいのだろうが、まだ理解しきれていない


2.南禅寺金地院

二日は本当にまるまる空いたので、実家から徒歩で平安神宮を目指した。その途上に、南禅寺の近くにある金地院

金地院正門

大坂の陣のきっかけとなった鐘銘事件を仕掛けたと言われる、「黒衣の宰相」金地院崇伝の寺である
「黒衣」とは仏僧の正装、袈裟を指し、「黒衣の宰相」とは僧職の身で政治の枢密に携わったことへの異名である。金地院自身は室町の四代将軍足利義持によって創建された禅寺だが、崇伝によって南禅寺へ移築された

明智門

明智光秀が母親の供養のために大徳寺方丈に建てた明智門
本来は当然、大徳寺にあるはずだが、ここにあった国宝の唐門豊国神社へ移されたので、スライドでここに運ばれた。明治19年だそうだから、廃仏毀釈の流れだろう
ちなみに国宝の唐門は、二条城→大徳寺→豊国神社と移っている。国宝の所在は権力の所在なのであ~る

金地院の東照宮

金地院内にある東照宮。京都所司代の管理を受け、開闢当初は日光東照宮と比されたという
表の建物が地味で、裏につながっている建物がカラフルなのは、日光も同じだったっけ

金地院の順路

順路の景色も風情があるぜ

鶴亀の枯れ山水鶴亀の枯山水
方丈から見る鶴亀の庭園

方丈には、狩野派の襖があって国宝ザクザクだけど、フラッシュで傷つちゃいけないので撮影不可。そりゃそうだ

南禅寺そのものには、ちょうど空腹なので後日にした(苦笑)
さて、平安神宮は次回の記事で


次回 【京都人による京都観光】平安神宮・琵琶湖疏水
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