『真田太平記 (九) 二条城』 池波正太郎

草の者の深刻な高齢化


真田太平記(九)二条城 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社
売り上げランキング: 16,077


九度山に流された真田昌幸は、十余年の月日を送るうちに静かに老いを重ねていた。徳川家康は嫡子・秀忠に征夷大将軍を譲り、自分の眼の黒いうちに徳川の天下を磐石なものにしようと動き出す。後陽成天皇から後水尾天皇への譲位にともなう御所の改築を契機に、豊臣秀頼の上洛を要請。淀君は難色を示すが、加藤清正に説得される形で、家康との対面を済ませるのだった

忍者たちの高齢化を感じざる得ない巻であった(苦笑)
ヒロインともいえるお江が50代で、その宿敵たる猫田与助は70代! 草の者のエースである佐助は30代であるものの、お江をフォローする者たちは80代から90代までのジジイという……もう少し世代交代があってもいいのではなかろうか
甲賀忍者側は頭領すら代替わりし、良くも悪くも組織的な忍者たちが台頭している。草の者に真田十勇士ぽいのが、佐助ぐらいしか出て来ていないのも淋しい
ただ年齢さえ度外視すれば、戦国最後の生き残りともいえる忍者たちの攻防は熱い!

この小説を読むと関ヶ原後の豊臣家を支えていたのが、加藤清正ら豊臣恩顧の大名だったことが分かる
加藤清正難攻不落の名城・熊本城を築いて九州に割拠しており、浅野長政・幸長父子は大坂に間近の紀伊和歌山37万石を治めている。両氏とも家康との対決は望んでいないが、いざともなれば西国に固まる豊臣系の大名を巻き込んで対抗できる勢威を誇っていた
石田三成と加藤清正が割れなければ、天下はどういう形になっただろうか
大坂の陣の数年前に、加藤清正、浅野長政・幸長父子がいなくなったのは、徳川にとって非常に都合がいいことであって、小説のような展開にもリアリティがあってしまう
真田父子が流された九度山は紀州浅野家のお膝元であり、この始末そのものが関ヶ原後も徳川家の勢威に限界があったことを示している


次巻 『真田太平記 (十) 大坂入城』
前巻 『真田太平記 (八) 紀州九度山』
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